うことです。けさ咲が行って買えず、午後一時の列に女中さんが行って買えず。この女中さんは目がまわるようなグリーンのブラウズを着て、おまけに桃色のハンカチーフを黒のモンペのところにひらひらさせて行ったのですが、何のききめもなく、五枚の制限切符は、とうに列の先でなくなってしまったのだそうです。
 咲が自転車で或る知り合のひとにたのみに行きました。駄目という返事が今来たところです。もう一軒知り合いの手づるをたのみに行きます。もし其が駄目だったらどうしたらいいでしょう。わたしはカンシャクをやっとこらえて、折角休養したのをフイにしまいと我慢して居ります。明朝七時何分かのに乗ると上野一時十五分。それからすぐそちらへ廻るしかありません。
 きのうから大丈夫か大丈夫かと云っていたのに。いつもは、何のこともなく買えていたのですって。
 もしギリギリ明日の切符が買えなければ、九日から今日まで休んだことも、つまりは腹立たしいことになってしまって、全くつまらないことです。そうなればどんなにわたしはいやで、あなたもいやなお気持か、はたの想像以上ですものね。わたし達の家風は全くちがうのだから、こんな小さいことも他の家風にたよったバチでしょうか。でも、つい、何ヵ月かくらした人のいうことにたよってしまったのよ。気が気でないこと、おびただしいものです。
 来るとき急にきまったので、あなたも不便そうにしていらして、いいかげんへこたれたのに、帰るに又すらりと行かなくては、もっと早くすればよかった以上ね。御免なさいね。
 今夜九時から売り出すのにどうにかして買うようにし、もし駄目だったら、夜明ししてもあした七時のにのれるようにします。咲も気をもんで、あっちこっちしてくれているけれ共。
 あした午後お目にかかれたら、其にはこんなゴタゴタ騒動が裏うちされているのよ。然し、大体昨今の旅行というものの工合が分っていい修業です、旅行はただの旅行でないのね、「パンの町」という小説のようなのね。そこへ目ざして一つでも多くの口、一本でも多くの手が殺到しようというわけなのですね。こちらの百姓さんが云っているわ。一人で来たものが、ハア今じゃ三人五人と来るんだからハアきけます。きけるというのは参るという意味よ。七八年昔の縁故までたどって来《く》っからない、と。本当に切符はどうかしら。こんな手紙、何年にもかいたことございませんね。
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