かいて、盛に配給食の比較をやっていました。こうして、人々の動きは大きくなって、攪拌されているのだと痛感しました。熟練工らしい人々は、学徒勤労を批評的に見ますね。学生は労作も能率も浮かす分を念頭に入れず、純奉仕的だからうるさいのよ、きっと。
こうして坐っているところへ風が吹きわたると、松の匂いがします。一帯の平地だのに、ここは本当に高燥で、この空気といったら。暑くて、軽くて、松やにの芳ばしさがあって、体じゅうの皮膚がよろこびを感じます。様々の空想をいたします。わたしはこんなに思うけれども、あなたにとってはやっぱり虹ヶ浜あたりの空気の方が、体に快く吸収されるのだろうかしら、などと。こちらの地方の自然には、北方の荒いやさしさ、情熱というようなものがあって、西の方の明媚さとちがって居ります。こんなこともふと思います。ああいうなめらかさ、明媚さは、もしかしたら男らしい人の感覚を柔かく休めるものかもしれないと。こちらは、云わば炭酸水の泡のような刺戟があって、それは却って、私のような性質の女に快いのかもしれない、などと。又ちがった表現をすると、あっちの自然は、通俗的なまでに文学的完成してしまっていますが、こちらは文学以前の自然だとも思えます。精神を型にはめる安定な自然でなくて、どこかで常に破調があって、先へ先へとひかれてゆくような自然ね。
さあ、おけさ婆さんが、お墓参りの花をもって来たわ。これから一寸お盆着に着かえて(!)お墓詣りいたします、家じゅうそろって。健坊も歩いてついて来るのよ、きっと。健坊は、ワンワ、ニヤニヤ、山羊はミューと分ります。牛は何てなくの? モー。健ちゃんは何てなくの? モーオ。だって。大笑いね。
夕立がそれて大分むします。むす、といっても比較にならない程度ですが。
十八、九年ぶりで歩く草道は、どんなになっていることでしょうね。ここいらの樹間の草道には、特殊な趣があります。桔梗が野生に鮮やかに咲いて居ります。では明後日には。
八月十四日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 福島県郡山市開成山より(封書)〕
八月十四日
いま午後五時です。少くとももう東京に向ってかなり走っている筈のところ、わたしはこうやって机に向っている始末です。この頃の旅行はまるでどこかの探険旅行のようね、思いがけない支障で中途で腰ぬけになったりして。今日のさしつかえは、切符が買えないとい
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