しさ、実に浮き出していて、ドンバスで、長靴はいて坑内を歩いたときをまざまざ思い出します。十九世紀のフランスの坑はカンテラ灯でてらされていたのね、そしてトロ押しを坑夫の娘たちが男装でやっていたのね。石炭を燃した動力で、ケージを何ヤードも上下させていたのね。
 ゾラとセザンヌと若いときは大いに親しかったのに、後年セザンヌはゾラを、気ちがいのように呼びました。ゾラが小説の中で、セザンヌをモデルにして、生成し得ない天才として描いたのがセザンヌをおこらせたからの由。ゾラを俗物という気持も(セザンヌとして)分るけれども、その俗物性(現世的事件にかかわる点。ドルフュスの時など)が歴史との関係でマイナスばかりではなかったことをわからなかったセザンヌは、やはり同時代人としての眼かくしをかけていたのですね。
 同時代人というものの切磋琢磨的相互関係は残酷というくらいですね、同時代人は容易に自分たちの同時代の才能を承認しません、試しに試すのね。そして遂にそのものを天才に仕上げてしまうのよ。賞揚によってというよりも寧ろ抵抗を養わせて。寿まだ参りません。今夜早くねるのがたのしみです。はれぼったいのですもの、夏の真昼の公園のイメージのときはぱっちりでしたが又ねむたいわ。ではね。お大事に、呉々も。

 八月一日夜 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

 八月一日、
 さあ、これで一先ず落付きました。ゆっくり、あれこれのことをお話しいたさなければなりません。
 今夕方の六時で、わたしは第一次夕飯を終りました。というと、第二次第三次とありそうで、支那の長夜の宴めいてきこえますが、実際はね、一度分に御飯が足りなくしかのこっていなくて、迚もこれでは駄目なのよ、しかし、ひるはパフパフですましたから、チャンともう一度たべる必要あり、午後からよく働いておちおち手紙かけない位ペコでしたから、豆入り飯にトロロコブのつゆをたべたところ。こんな話しぶりで、もうおわかりでしょう、うちには私一人だということが。そして、欣然として二人遊びにとりかかったということが。
 二十五日の午前十一時何分かの汽車で、咲国二人旋風の如く出立。夕刻、寿が来ました。(その間に手紙かいたわね)次の日から荷物のかき集め、生れた家から出るというので、何となし喋りたく美味しいものがたべたく、そういう寿のこころと口とを満すために相当困憊いた
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