しました。二十八日に、トラックが来るというので二十七日に男雇って荒準備しましたが、二十八日は遂に来ず。今のトラックなんて、来るのが奇蹟故、つまり[#「つまり」に傍点]来るならいいがと大気をもみよ。国は電報をよこして、トラックキタカ、イツクルカ、ヘン、というわけです。次のイツクルカは、わたしのことなの。申していたでしょう? もしかしたら月末から一寸行こうなんて。そのことなのよ。トラックは三十一日に来るということになったし寿一人のこして行くなんて不可能ですし、クマさんが大した成長ぶりで食慾のかたまりみたいに一日わたしを煽ります。何にいたしましょう、何にいたしましょう。
三十一日には其でも奇蹟が実現して、トラックが来ました。十時すぎ。それからすっかり積んで、十二時迄出発。寿一時何分かの汽車にのって、あっちで荷物うけとるの、それは考えても気の毒です。何しろ寿の荷物と云ったら、大きい一身上のうえにピアノだ机だ、ワードローブだと、男が三人でもやっとこのもの(ピアノ)などだから実に大したことでした。木戸をこわして運び出して行ってしまったのを、あとから直させたり。
寿の荷物のあったのは食堂の向いの板じき室、あの元の食堂、あの頃畳で、壁に深紅の唐草の紙が張ってあり、なべやき召上ったあの室。夏のこと故、こっちとすっかりあけ放したら、ガランと床がむき出しになって、行ってしまった感が沁々として寂しゅうございました。本当に、行ってしまった、と思って、さっぱりと何一つない大きい室を眺めます。風通りは、全くよくなりましたけれ共。普通の引越しとちがってあのひとの場合は、去り行いたのですものね。めでたく一世帯もつのならどんなに安心でしょう。それでもうちにわたし一人で、隣家の夫妻だのに手つだわれて、大さわぎで出してやれて却ってよかったわ。遠慮なくごった返せて、寿のためにうれしかったと思います、いる者は少くとも全員心を合わせ働いたのですから。しかし、かざらしのへばりかたは猛烈よ。気をつけて湯も浴びて埃をおとす丈にして入らず、自重しておりましたが、昨夜もよく眠らず。疲れすぎたのよ。手伝いがなくてへばったところへ来て、ヤレヤレとよろこび、ああやって、幾ヵ月ぶりかで割合繁く手紙もかけましたが、直ちに引越しさわぎと食い騒動で、又もや窮地です。
ところがね、天に神が在って、助けが下りました。成城に室をかりら
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