しい猟人よ、矢をつがへよ。われは ひとはりのあづさ弓、矢をつがへよ。斑紋《ふもん》美しき鷹の羽の箭《そや》をつがへば、よろこびにわが弦は鳴らん、猟人よ。
 白い藤をくれた古田中さんの 孝子の俤 というのが出来上りました。お目にかけます。あなたは孝子夫人にお会いになる折がありませんでしたが、写真を御覧になったら、きっと西村の系統のふっくりさをお見出しになるでしょう。母の若かった頃お孝さんに似て居りました。白藤の感想おきかせ下さい。今よみかえしてみると、体のまだ弱いところが分る筆致なように思われますが。このお孝さんの思い出と、母の『葭の蔭』の中の幼時の思い出と、くみ合わして編輯すると、明治というものの香が高く面白いでしょう。西村の向島の「靴場」[自注10]が、母の方の西村のそばで、この靴場の炊事場で小さい女の子の母が、沢庵のしっぽをしゃぶって遊んだりしたのですって。高見さんの文章の銅像は、こわして先頃献奉になりました。では又ね。これからは今までより手紙かく時間が出来てうれしゅうございます。

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[自注10]西村の向島の「靴場」――百合子の母の叔父にあたる人が靴工場を経営していた。
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 七月二十四日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

 七月二十四日
 十九日出のお手紙けさ頂きました。ありがとうね。このお手紙は、もう一二度ありがとうね、をくり返したいように、いろいろなたのしさ、面白さ、明るさの響がこもって居ります。手にもって振ると、そこから心のなぐさめられる音が珊々として来そうね。そして、大人にも、ときにはお握り(赤ちゃんが握って振って音であそぶおもちゃ)が、何とうれしいだろうと感じました。ましてやその響は天と地と星々に及ぶ詩の予告なのですものね。万葉の詩人たちは、素朴さと偽りなさにおいて匹敵いたしましょうが、叡智的観照については、時代のあらそわれない光彩が加って居ります。藤村の詩の中に、こんな句がなかったかしら「何にたとへんこの思ひ。生けるいのちのいとしさよ」と。
 きょうは珍しいことでしょう、こうやって手紙を拝見してすぐそこで返事書き出せるというのは。幾ヵ月ぶりかのことね。そして、これは私の生活のリズムの自然さですから、うれしいわ。クマさんもありがたいことです。今あっちの縁側で鋏鳴らして掛布団のほごしをやって
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