ジを直し、上のむし食いを直し、外からは一向どこをそれ丈苦心したのか分りません。金のどうやらやりくれる最後の由でした。
 この歯の先生が、元は絵をやろうとして(日本画)美校に入ったのですって。絵で食えるかと親父憤って金をよこさないので、一番血なまぐさくない、家にいられる歯をやりはじめたとのことです。平和を愛し、野心をもたない人です。この間、北九州のとき、丁度約束の日で行ったら、すこし顔つきと身ごなしがちがっているの。亢奮があらわれています、白髪の顔に。こちらはもんぺの膝をそろえて椅子にのり、先生はいつもとちがったテキパキさで道具をとって治療にかかりました。そのときちょっと口のところに指がふれました。その指が非常に冷たくなっていました。いつもは暖い、顔にちょっとふれて感じない老齢の指先なのに。国民にとっての歴史的な局面感が、こういう鋭い、小さい、活々とした感覚に集約されて表現された、ということは何と印象深かったでしょう。小説はここに在る、と思ったことです。おそらく一生忘れられないわね。思い出というものは、こんなちいさいしかも決して忘れることのない粒々によって貫かれたイルミネーションのようなものなのね。いろいろな色どりがあります。そして、一つがふっと光ると、次から次へと、灯がのびてゆくのね。
 きのうは、あの夕立と雹の嵐を見ながら十年の夏を思い出して居りました。ゴミゴミしてくさいところにいて、疲れのため、遠い夏空に立っている梧桐の青い筈の葉が黒く見えていました。同じような夕立のふった午後、わたしは打たれて膨れた頬っぺたを抑えて、雨と雹との眺めを見て居りました。それからとんで、わたしは何を思い出したとお思いになって? 可愛い仕合わせな汗もたちのことを思い出しました。
 みんな薄赤いその汗もは、仕合わせものたちで、パフに白い粉をつけたのを、不器用らしい器用さで、パタパタとつけられました。
 そして次には、水遊びを思い出しました。爽快きわまりないウォータ・シュート遊びを。玉なす汗を流しながら、好ちゃんは、何と強靭に、優雅に、飛躍したでしょう。夏の音楽は酔うように響いて居りました。よろこびの旗はひらめいて。
 段々雨がおさまって樹のしずくの音が聴えるようになったとき、一つの詩の断片が思い浮びました。われは一はりの弓、というのよ。われは一はりの弓。草かげにありて幾とき。猟人よ、雄々
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