で、十分それを御承知でなかなかおしゃれで、びんをこう出して、帯をしゃっとしめて、「後姿は、人も出て見るような」という話や、ね。おしゃれというのに二いろあって、表現的な精神の抑揚からのおしゃれはおもしろいことね。そして、わたしは、そういうおしゃれなら人後におちたくないと思います。おばあさんの御秘蔵であった小さいあなたに、おばあさんのそういう弾みのある人柄が何と感じられていたでしょうね。そういう姿美人の子だから、お父さんはお踊りになると、案外なしお[#「しお」に傍点]があったのでしょうかしら。お母さんはお父さんの踊上手がお自慢なのよ。御存じ? お父さんのお人柄のよさがそこに出ていると思って伺いました、どうしてあの武骨そうな人が、というようだったのですってね。
鷺の宮は空気の気もちよい、林の畑の中の小さい町です。この間、着物とりに行ったらとうもろこし、きゅうり、なす、いんげん、じゃがいも等、家のぐるり一杯大きくなっていて、わたしの畑(!)がそぞろ哀れになりました。畑一つみても、力を合わせる者のあるところと、そうでないところの違いはおどろくばかり露骨です。この頃、どの家でも畑つくりをやっていて、気風がわかるようでしょうね。わたしが一人で、畑が貧弱なのもやむを得ません。その一人がともかく畑作りを着手した丈プラスです。一人だと、こんな風に畑は不便よ。朝おき、御飯がたべられる迄に一時間はかかります。いくら丸くても、半分でカマドの世話をし、半分で畑の草とりは出来かねます。夕飯頃日がかげって丁度水をやり、手[#「手」に傍点]をこしらえてやったり、草むしりによい時刻一人は、一人で七輪の前で大汗です。鷺の宮なんかの風景は、ね、細君が台所にいるのよ。あなた、あの胡瓜一寸とって来て下さいよ、うんよし。或は、一寸旦那さん見えないナと思うと、草むしり。こうして畑は繁昌です。
緑郎の暮しも目下は食糧が大問題でしょう。包囲の頃(普仏戦争)ゴンクールの日記に、やっぱり妙な貝を歩道で売っている、などと書いてありますが、その比でないようね。その時分は、牧場の牛や羊や畑を、空から見下してはブチこわして飛びまわる罪な化物は居りませんでしたからね。今それやっているそうです。大いに参考とすべき事実です。近郊[#「近郊」に傍点]というものの立場について、ね。袋の中のようなものになって大したことです。二人だからい
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