、鏤ばめられて燦く明月の詩や泉の二重唱の雄渾なリズムは、どう云ったら、それを語りつくしたい自分が堪能するでしょう。こういうおどろくべき単純さと複雑さとの調和が、可能なのが、何かの意味で日本的だというのならば、日本の世界的な水準というものも納得されるようです。
 すこしきりつめた云いかたをすれば、現在のように今夜の自分の生命について信じず、ましてや数ヵ月後の其について信じず、しかも人間の未来の輝やかしさについて益※[#二の字点、1−2−22]深く信じるこころをもって、こうやって書いていると、いのちへの愛が凝集して叫びたくなるようね。
 こういう感動の鮮やかな深さは、もしかしたら、今度は神経の負担が少いからかもしれません。珍しく国が居ります、そして珍しく本気で協力して居ります。わたしはうれしいの。わたしが余りよろこぶものだから国もうれしいところがあるらしくて、さきほど事務所へ出かけるとき「じゃ、なるたけ早くかえりますから。我慢していてね」と云って出て行きました。こんな言葉は、やさしい言葉よ。ね、だのに、この人ったら、浴衣の汗の口なんですもの、風向き一転するや、忽ち端倪すべからざる変化を示します。
 わたしのような人間には、信じないで信じている、というような芸当はむずかしいのに。姉弟ですからどうにかもってはゆくけれども。
 暗くならないうちに御飯たいておかないといけないのよ。ですからここまで。あしたもきっと書けそうね、今夜無事ならば。ゆうべ安眠出来たということのかげに、犠牲の大さを感じて粛然たるものがあります。ではね。

 七月九日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

 七月五日 つづき
 夕飯を一人ですますことになったので、それに警報も解除となり明るくしてもいいのでお話をつづけます。
 先ず、「鰊のやきもち」という話をいたします。さっき七輪に鍋をかけて、にしんを煮かけつつあっちの手紙をかいて居りました。間で決して放念していたわけではなく、この北の海でとられて、身をかかれて、かためられたのを又ぬか水に漬けられ、甘く辛くと煮られる魚の身の上を思い、折々みてやっていたのに、どうでしょう。いつの間にかわたしが書く方に熱中したとみる間に、じりじりに身をこがして、行ってみたときには、おつゆがからからであやうく苦くひりついてしまうところでした。マアどうでしょう、とひとり言
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