わ。シーザーは、いろんな占いをやって、おっしゃるように勇邁に其を解釈したのでしょうが、そういう占は見えなかったのかしら。シーザーなんかについて余り存じませず、しかしこれ丈は記憶にのこっています。シーザーは細君をいましめて、「シーザーの妻は、あらゆるときにシーザーの妻として振舞わなければならない」と申しました由。これは当時横行したワイロについて、それを受領するな、ということだったのよ。プルタークはかいて居りませんか? ナポレオンは気の毒な良人で、ジョセフィーヌには、えらい思いさせられつづけたのですって。例のフーシェね、ああいう奴やナポレオンの弟の不平組と徒党をくんで、偉大な人の苦痛や面目の傷けられることばかりやったのですって。人間の心の中に、そういう試みる悪意があるのね。神を試みる勿れ、とは苦労人の言葉です。ユダだって、人類的恥辱の裡にありますが、裏切りが面白いより、ひっくりかえしてみて、猶イエスは本当に死なない命をもっているのか、それを見たかった悪魔ね。近代人が、フーシェはじめポベドノスツェフの流の破廉恥を常習とするのは、いくらか違って、悲劇とすれば、アーサー王伝説中のゴネリアの物語みたいなものね。シェクスピアはそれからリア王をかき、コルデリアを描いたようなもので。もと[#「もと」に傍点]ね。プルタークについてはほんとうにそうだと思いました。人生経験というものは大したものね。そして、そういうものが読者に加るにつれて、一層味い深く読まれるというところに、作家というものの意味のふかさがあり、勉強のしどころがあります。大人の文学、というものは、房雄先生の定義するところより遙か遠い、質のちがったものです。俗人らしい厚顔さをますことではないわ。俗説をあれこれかき集めるのでもないわ。こうやって、暮していて、猶々仕事とは何か、ということについて会得いたします、そして、新鮮な情熱を覚えます。自分の人生が要約されてあることに歓喜を覚えます。仕事と妻の心と、主流は綯い合わされた只一筋のそれだけだというところは何と愉快でしょうね。この要約の豊富性については、よく表現しつくせない位のものね。芭蕉は一笠の境界ということを理想にしましたが、現代史の波瀾重畳の間で、よく要約された人生の道具をもって生きられるとしたらそれこそ人間万歳です。
 その至宝のような単純さ、明瞭さの殆ど古典的な美しさの中に
前へ 次へ
全179ページ中84ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング