ているのに、意識した関心事といったら、けちなけちな一身の欲望、どんなにして尻尾を出すまいとか、口実をみつけようとかいうのだというのは、何と不思議でしょう。世相にけずられ、追いこまれて、小さく小さく、下らなく下らなくとなります。
さて、そちらで待ち待ちガンサーよみ終りました。パレスチナのユダヤ殖民地をめぐって、アラビア人とユダヤ人とのいきさつなど今まで知らなかったことも学びました。「アラビアのローレンス」を思い出して、イギリスがアラビア人をおだてて独立[#「独立」に傍点]をさせ、ユダヤ人の科学発明がうれしくてパレスチナの殖民案を通し、しかし伝統的なアラビア人とユダヤ人との流血的対立を排除するどんな実力ももたない点、両刃の剣風に双方をかみ合わせる点、ローレンスが自分の国の政策を見とおさず、アラビア人のため努力して幻滅したりするところ、興味をもちました。伝記などというものは、その関係からかかれなくては、一尾の魚の丸の姿は出ませんね。そして自叙伝などというものの新しい価値は、そういう時代と個人との千変万化なるからみ合いの角度を明瞭にしてかかれなくては仕方のないものなのね。自伝をかくとき、ひとは少くとも自分の生涯の世俗からみれば愚かしい迄の高貴さ、或は聰明とかぬけ目ないとか評価されとおしたことのかげにある穴あらば入りもしたい通俗さを、自分で知っていなければなりますまい。さもなければ、古い型の自伝なんかもうゲーテとルソウとオウガスチヌスとで十分ですもの。
太郎の少年らしいよさ、満々です。来ていたときに、朝顔の種蒔こうというのよ、どこへ蒔こうというの。だから、あすことあすこがいいねと云っていて、忘れてしまい、この間警報解除の後、庭へ出て菜をとろうとしたら、マア、出ているのよ、芽が。云ったところに。じゃああっちにも出たかしらとみると出ているの。蒔いたよとも云わず、ちゃんと云ったところに蒔いて行ったのね。何と爽やかなやりかたでしょう、いいわねえ。うれしくてまわりの雑草をむしりました。雑草の中へ平気でかためて蒔いて行ったのよ。そういう自然を信じたやりかたもいい気もちです。鳥のようで。
では明日ね。おなかがましであるように。今にさっぱりした浴衣おきせ出来ます。
七月五日夜 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕
七月五日
七月と日づけを書き、ぼんやりした愕きを感じま
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