なりたいといえば、ノミ騒動。いいあんばいにやっと退治に成功したらしくて、昨夜あたりのうのうでした。ノミのいない床によこになる心地よさ。騒ぎという字をよくみると、馬に蚤がたかったところね。これじゃわたしもいやなわけだと、ひとり笑いいたします。私のよこに蚤をたからしたら、字にもならないほどのさわぎのわけよ、ね。お察し下さい。
この原因がチンなのよ。この間、吠えつかれてチンが八百やのキャベジ籠の間で腰ぬけになって、思わず抱き上げたと話したでしょう? そもそもあれが原因でした。ノミの方は、そんなこころなんか我不関で、得たりとたかって来たのでした。ひどかったこと! 以来、チンの可愛さとノミのこわさはきびしく別で、めったに体をすりつけてもらいません。チンは訝しそうよ。どういう工合なのかナという風です。
ガンサーの本、ガンジーの伝のところ、面白くガンジーの自伝というものをよみたいと思います。聖書的率直さと天真爛漫さだそうです。ガンジーが、肉体の欲望を支配する力を得ようとしていろいろ努力して、四十年来成功しているそうですが、このひとはトルストイのように、自分の目的達成の困難さを、女のせいにしていかめしくかまえもしないし、ストリンドベリーのように、妙に精神的[#「精神的」に傍点]にひねくれもしないし、キリスト教徒でない、自然さがあるらしくて、そんなことも面白いと思います。十五歳で十歳の妻と結婚したのだそうです。北の生活の中では、わからない人間成長と性の問題のくいちがった様相があるわけです。インドでは体が、果物のように熟してしまうのね。精神は生活経験の蓄積の時間が入用ですから、体にまけて、萎えて、未成長のまま早老してしまうのでしょう。インドの聖人[#「聖人」に傍点]たちが、みんな肉体の支配について巨大な意力を動員しなければならないのは、実際の風土に対する人間的プロテストなのね。自然におけるそういう条件への抵抗と、イギリスというああいうガンコな壁への抵抗で、インドの人々の生活は、意力あるものは極めて強靭な意力を要するのでしょう。ガンジーは、ゴムのような男の由、堂々たるヨーロッパ人が大汗でおっつけない程迅く、やせて軽い体を一本の長い杖をついて運ぶ由。ガンジーの矛盾だらけ、不思議な素朴さ(経済問題について)は、即ちインドの一般生活のおそるべき低さと比例する困難さに応じたものであるというの
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