り元気になります。気は楽なのにちゃんと何時間か坐って居るというだけでも、やはり疲れるのね。おっしゃるとおり自分の気持だけで区切りをつけていたってはじまらないわけですから、もし七月につづけばはっきり夏休みにします、九月下旬までは。体の調子は決してわるくないと思います。それに目下は一寸人手もあり、従って寿江子のとばっちりもおさまっていて。私はこの頃バカになっている修業というものが必要で、成程と感服いたします。そんなにシブキ上げるなら放っておいて私にさせればいいのに、それは可哀想、させる人たちがひどいという公憤も加って、寿は自分でひきうけて、馴れないから大鳴動を起すのね、親切のうけかたもむずかしいものと苦笑いたしますし、妹もあの位になると、バカになっておかないといけないという時もあるものなのね、あちらは性格から云って頭が迅くまわるのを制すたちではないのだし、気づくことは万事気づいてのんびりしているというところ迄の修業の出来ていないのは当然でもあるし。ですから私の姉さん修業も相当の段階にたち到ったと申せます。きっと旦那さん修業にもいくらかこんなところがありそうに思われます。いかがなものかしら?
花屋の眺めについて御同感でしょう? それでも自然に茂っている樹は美しく、枝ぶりも好もしいし、葉も美しいし、やはりうち眺め、うち眺めして飽きることを知らない心のよろこびです。私はこうやって部屋が二階にあってしっとりとした心持で見ているのはいつもいろいろ様々の若葉を重なり合わせている木々の梢ですから、なかなか鑑賞の力はみがかれて来て居ります。泉物語の詩の話も久しいことしませんでした。自分のしんから気に入っている詩の話などというものは自分で書くしか仕様のないものね、しかも、やっぱりせめてはこの位の字もどうやらかけるようになって来なくては、ね。つい先頃までかいていたあの大きい粗末な荒い字を思い出すと、声のとぎれがちな叫びのようで大変苦しい気がします。まだまだ苦しかった(頭が)と思うの。じっと字をかいていられなかったのよ。丁寧にかいていられず、何かにせき立てられているようでした。その上今思うと、体じゅうの筋肉が変だったのね。全くギクシャクしていたのだわ。ですから大事に大事にすっかり癒らなければなりません。瑞々しく柔軟に丸く心も体も恢復しなくてはなりません。この頃は、字にしろ落付いてこまかくかいて行くたのしさが出来て来て、それに堪えるだけの神経の調子になって来たのでしょう。でも、眼はけしからんの、何というのろまでしょう。原稿紙のマス目はまだ駄目です。
きょうは六十六度ほどで、曇ってもいるし、しのぎよいが、昨日は又八十度越しました。あついと実に苦しいのよ。肩や背に日光がさすと何とも云えず不快です。もう傘をさしています。冬の衣類前へ出しておいていただきましょうか。私は今月のうちにもう一度ゆきたいのよ。いずれ水曜か金曜ですが。私にとって少しは薬になる外出があったっていいわけのものではないでしょうか、文字どおりほかへはちっとも出ないのだもの。たのしみの外出なんてないのですもの。夜具やっぱり宅下げなさいますか? 私はあつくるしいのはやり切れないとは思うけれども、どれか一つだけ厚く綿の入っているのをおいておいていただきたいのだけれども。ドカンと云ったらあなたはあれをかぶっていらっしゃるという気休めがほしのだけれ共。下らないこと? 小学生たちは坐布団に紐をつけたものをかぶります、親は、それでもないよりはと思っているのよ。
島田へこんどお手紙のとき、お母さんが日向に頭や肩むき出しで余りお働きにならないよう、川へ洗濯に行らっしゃるのもすこし気分が変だったら必ずおやめになるよう、よくよくおっしゃってあげて下さい。いつもいつも書くのですが、お元気だから黙殺よ。しかし多賀子の手紙などには同じことを心配して居りますし。
私が久しぶりで手紙をかけてよかったとこちらへもよろこんで下さいました。自動車のことはそのとおりです。乗用とトラックとが新しく入るというようなことが友子さんの手紙にありました。Yという人物やその間の事情も代表的なものですね、いつか島田で私一人店にいたら途方もない横|柄《ヘイ》な奴がヌット入って来て頭も下げず、少額国債のことを話し(自分が買うと)私は何奴かと思ったらそれがYの由。裏の路の話は三四年前からでした。ではもう出来たのね、やっぱり高く出来たのね、人間の生活の常態というものに対して親切な心くばりの欠けた強引プランというものは、いつの時代にもどんな場合にでも人々の心に舌ざわりの荒い滓《かす》をのこすものです。或種の人々の感情には横車を押しとおす快感めいたものもあるでしょう。小人物はそういうものだから。有無を云わせぬというところに何かの感じを味っていたりして。そういう町の落付かなさを思います。裏と云っても、もとからあった裏道ね、あれよりもっと家へよったところに出来るということでした。きっとそうでしょう、トラック用道路です。島田の家も住居はもう少し山よりの方へ奥へ小ぢんまりと引こめて、こちらは仕事用の必要部分だけにして、お母さんや子供や女連は住宅の方に暮せるようにしたらいいでしょうね。通りの建物は利用する方法がどっさりありますでしょう。達治さんの健康のためにもいいのでしょうが。このことは少し考えてあげて、その方がいいとお思いになったらお話しになったらどうでしょう。軍用トラック道路と徳山、光町の線路とにはさまれているのは、静かな日々ではないのだから。きっと家賃としてもかなりのものでしょうし、お売りになって小さいのを立てれば案外やりくれるかもしれないし。蔵だって今は使用せず単独に貸していらっしゃる位だから。裏へ道が出来たのではお母さんもお考えでしょう、あいにく私たちが大キューキューで何とも出来ないのは残念ね。
お送りした草履は、かなり奮発で、今としてはいいものでしたからうれしいと思って居ります。輝ちゃんに絵本送ったのよ。
今日『防空』到着しました。『ギオン』が一緒のようにかかれていて消され一冊だけでした、私はまだ迚もああいうのはよめないの。寿江子がよんで教えてくれるそうです。それにしても朝日の『衛生学』まだ本屋から来ないので又きき合わせて居ります。スタインベックの「月落ちぬ」Moon is down という小説が英語で持っている人があってやがてかります。活字が大きかったらいいのだけれど。お送りして見ましょうね、文章の新らしい単純さをぜひ原文でみたいと思っていました。外国語では題に自由に動詞をつかえるから面白いものね、Moon is down にしても作者の感覚は本当にただ月が落ちた、という時刻とか光景とかのものでしょうが、生活とくっついた表現にすぎないのが日本語で月が沈んだでは何とも題になりかねます。この頃の月は夜の九時頃もう西にまわっていて早く沈みます。それを眺めて一種の風情を感じているのでなおはっきり文学的表現をくらべる気持にもなります。宵に落ちる月の風情などはせわしい心のときは気をとられないものね。きょうはこれから久しぶりで風呂に入ります。警戒警報が解かれほっとしました。では又ね。
五月十六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕
五月十六日
きょうは、五十七度ほど。これだから体がたまりませんね、けさ午前五時半の一番で太郎がコウヅへ行くというので起きて世話をやいたら風邪をひき気味になって、雨のふるしずかな私一人のうちの中で殆ど一日床に居りました。今もう夕方。おきて暖い襦袢にエリをかけて着ていたら、健之助の乳母にたのんだ人の乳が健全でのましてよいと医者からデンワで、それ知らせろということになったら、あっちのとりつぎ電話が不明でゴタついているところです。
父さんは大抵金曜日の夕方になると何か用が出来て、どうしてもあちらへ行かなければならなくなるのよ。太郎は土曜から出かけて二人が月曜日の一番で夜明けに起きてかえって来ます。
其故この頃の日曜は本当にドンタクなの、しずかで。気づかいもいらないし、ケンカする人たちはめいめいちりぢりだし。そして私は面白い、又いじらしいものだと思って、せっせとリュックを背負って母さんのところへ出かけて行く父親の心持や又それとは別に息子のことを考えたりして暮します。アメリカにシートンという動物観察者が居ましょう、いろいろな動物の生活をよく見ていて、時にはバルザックがかいた豹《ヒョー》についてのロマンティックな物語を書き直したりするところもあるが、大体はまともな記述をしています。それのリス物語を一寸よんだら(太郎のをかりて)リスの父親はどこやらリュックを背負って行く父さんの心持――自覚しないでそう動く心――に通じていて、ほほえまれます。一緒にだけ暮していると、こんな気持ははっきりそれとして生活の中に浮き上って来ないものね、彼にとって家族という感情の柱はどこに立っているかということを沁々感じ、そういう本能めいたものの暖かさと根づよさとを感じます。巣のぬくみ、その匂い、何かしらひきつけるもの。そういうものなのね、全くオカメがいないと落付けないのね、よりよく動いている部分があってもそれで落付けるというものでないというところが面白い。生活の日常性の粘りのつよさということも新しくおどろきます、自分の体温と体ぐせのうつったものがいつも恋しいというところ。
この紙は妙な形でしょう? でも書きよさそうでしょう? 昔昔のタイプライターの用紙です、S. Chujo と父の事務所用で一杯いろいろ印刷してあるところを切ると丁度この大さになりました。この間、紙屑の山からほり出して来たのよ。形はどうともあれ、今にしては大した良質のものだからホクホクです、書きよいのよ、そして私は手紙につかえるいい紙が見つかると一番上機嫌です。
風邪のかげんできょうの目といったらメチャよ。大チラつき。ペンさんがやっと結婚するようになりました。秋頃の由。対手は実業家の息子で帝大の経済出。日銀に居た人。ペンさんは高等小学を出てすぐそこで女事務員になり七年つとめている間にその人を知ったのです。中途でゴタついて、男のひともグラついたのらしいが、マア決着したわけです。高輪に壮大なる邸宅があってそれは借金のカタになっているが、妹が結婚する迄はその家をもって行くという処世術を守る家風です。なかなか楽ではないでしょうが、何年来も交渉があったらしいから、ちゃんと結婚というきまりをもって、生活のよさわるさを正面に経験して見るのはよいでしょう。
私はこの頃迎えや外出のおともをして貰っていますが、秋迄にはその用も一片つきましょうからお互にようございました。きょうはいくらでもこうやって御飯後のお喋りのような話をしていたいがあんまりな目ですからもうオヤメ。かぜをおひきにならないようにね。
五月二十三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕
五月二十三日
十九日づけのお手紙土曜(昨日)頂きました。お心くばりいろいろとありがとう。本当に、来ないようとおっしゃったらヒョコリといやに熱心な顔を差出したから苦笑ものでいらしたでしょう。
私は目下大したものもちで、十五日からつづけて三つものお手紙をためこんで眺めて、あっちこっちくりかえしてよんでいる次第です。
まず十五日の分からね。マホー瓶の件。もちかえりましたが大したこわれかたね、グザグザね、国男に話したら、キット大きな音がしたんだろうと云っていました。そう?
マホー瓶は真空装置がある瓶を入れるのだからビールビンではどうかということです。心当りのところに(専門店)きいてみます。うちにあるのは、よくアイスクリームを一寸買ってかえったりするときの、籐のザルに入って、いきなりキルクせんの、テラテラツルツルしたものなのよ。籐のザルをぬいたら立ってもいられない代物なのよ、それでもいいでしょうか、よかったらお届けいたします、御返事を、どうぞ。
『結核殊に肺結核』『文芸』と一緒に送りました。掛ぶとんカバーなしで、夏ぶとん
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