もそれでいいのかしら。何だか夏はあったらよさそうですが。
 用だけ一まとめにしてしまいましょうね。『週刊朝日』その他は来週からの分或は六月号から。それはきのうお話したとおり。
 富雄へ本を送るときのことわかりました。それから物は前金でたのみ、それ以外はたのみませんから御安心下さい。これからは第一たのめません。小包不通故。それに大体私は余りこのみませんから。あちらも通貨が一本立になり物価三倍以上になったそうです。上海ではこちらで八十円のポートフォリオが百二三十円の由。十年前六円五十銭で買ったのを、昨今八十円でよろこんで買うという人があるという笑話をききました、でも本当でしょう。
 隆治さんの雑誌は閉口です。自分で出歩かないのでちっともはかも行かず見当もつかず。
 十九日のお手紙、本当にいつもいつもありがとう。昔の人の表現にもなかなかうまいものあり、病魔はその一例ね。
 無理しないようにということは、私も決しておろそかには考えて居りません。しかし、六月一杯迄このままやって、もしそれより先にかかるのなら九月下旬まですっかり休んでどこへか行きます。「何しろまだ病人対手なのだから」ということで、いく分面倒くささも減っているところもあるのです。多分六月一杯でおしまいでしょう。おっしゃるとおりひとり合点もあるといけないから自分としては何もきめた形で考えていず、体とにらみ合わせてやってゆきましょう。そんなに気をせき立ってもいないのよ、一頃よりはずっと楽に落付いて、いらいらもしないのだけれども、ついつい足が向きたくなるという場合もおこります。でもそのついもおやめにいたしましょう、ホラ又。ユリのアンポンというのでは、自分はともかく折角気をつけて下さるあなたに相すみませんから。
 うちに、代って一寸心やすく行ってくれる人でもあるといいのですけれどね。この家も全く風変りだから。寿江子もこの頃体はわるいし、咲たちが国府津へ行ってしまって、どうしてもうちのことは肩にかかるしで、恐惶謹言的状態で、お使いはたのまれないし、厄介だし、滑稽だし。うちに、あたり前の人が一人いたらどんなに気が楽でしょうね。それが目下のところは自分というのだからお話になりません。私はあながち欲ばっているのでもないのよ、お察し下さい、特に近頃は来るなとおっしゃることもわかるから、それでも私が、なんて考えてはいないのよ。当分何とかやりくって行きましょうね、六月になると、うちの女史は東京と田舎とちゃんぽんに暮すのですって。夏どこへ行くか、なかなか決定出来ません、食物のことがあり、身のまわりのことがあり。まだ自分で洗濯など出来難いから夏こむとき宿やに一人いたりしたら不自由かとも思うの。開成山は猛烈に眩しいところなのよ、開いた地平線の遠い高みに建っていますから。多分信州の上林へでも行くのでしょう、ここは樹木が多く、木下道があり、高燥で、木賃宿のようなうちの人たちは余り不親切でもありませんから。やっぱり本がよめなかったりすると、全く知った人のいない宿やへぽつんと一人でなんか行きたくないものなのね、それは追々具体的にきまって来るでしょう。
 好ちゃんの話、本当にあの子を泳がせてみたいと思います。まだ私がよく抱いた時から男の児の中の男の児という精彩にみちた風で、雄渾という資質だったから追々成人し、どんな美事に波をくぐり、水にもまれ、そして快よさそうに濤に浮んで、のびのびと手足をのばすことでしょう。やはり海辺そだちは違うのね、あの子が海を好くばかりか、見ていると、海はあの子がしなやかにきめこまかな体の線を張って、いのちの箭《や》のように波間にくぐり貫いて行くのを、よろこびだきとるようで、一層嬉々と波だち光り、体を丈夫にする塩のふくまれたゆたかな水圧で、あの子の体を軽くしめつけるようでした。海と遊ぶというのはああいう泳ぎ方の出来るのを見たときの言葉ですね、ひとしきり縦横に活躍して、砂地に上って来たときの好ちゃんが濡れ燦き、美しい海のしずくのしたたる手肢で、いくらかぽーとしたように暫く砂に休んでいる様子も面白く愛らしかったでしょう? あの子はそうして休むと又一しお泳ぐ面白さにひき入れられた風で一層ふかく身をおどらして行ったことね。
 一遍ああいう胸もすくような男の児ぶりになってみたいとよく思ったものでした。胸のすくような、という子は見かけないものね、この頃は特にそうね、子供のスケールが変に小さくなっていて。
 小さい人という溌溂として天真で、真面目なのが少いわ。大人の小形よ。合言葉でつまっていて。大人をおどろかせる子供の新鮮さというものの価値はもっと尊重され、純粋に保たるべきです。そういう点でも好ちゃんはユニークよ。皮膚の荒い人に精神の精緻な人はない、ということを昔から云いますが、それは本当かもしれないわ、好ちゃんなんかのことを思うと。
 秘蔵っこの噂を程々でやめておくには、私にとってよほどの節度が入用です。
 この節、四角い紫檀の机をつかっていて、その横にあなたの側ダンスをおいて居ります。その上には、父が昔買ってくれた古瀬戸の[#図1、油つぼの絵]こんな形の油つぼがあって、それに今日はこぼれた種から生えて咲いた菜の花がさしてあります、その引出しの二段目にフートウや何かを入れてあります、原稿紙もきっちりに入る奥ゆきに出来ているのね、一寸台所へ行って見たら、寿江子が何だかコネていました。きょうは日曜日で又うちは二人きりよ、しずかです、朝は六時ごろ目をさまし戸をあけ空気をとおし又横になりすっかり起きる気になる迄居ります、睡たいうちは何度でも眠るのよ。朝《あした》、夕《ゆうべ》に論語をひらくというのも、おっしゃるとおりうそでない気持で経験されたことでしょう、愛誦の詩の中から目醒めるということもあり、それは殆ど地上へ我身を落付けるに余程手間どるばかりです。まだ書きたいけれど、光線の工合が眼によくなくなったから又改めて。

 五月二十八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(浅間山の写真絵はがき)〕

 二十八日、
 きょうも雨になりました、もう五月雨に入ったのかしら。けさ迄二日咲と健之助が帰って居りました、種痘のために。
 健之助は丈夫な児でまことに可愛うございます。秋にはお目にかけましょうね。それはそれはいい香いがするのよ、暖く眠っている床が。かぐわしき幼児というのは本当です。マホービンは、あちこち当って見ましたが、どうも望みなしです。真空瓶をつくるところでききましたが。ここにあるのに外側をつけることを研究して見ましょう。ビールビンではマホービンにならぬ由です。

 五月二十九日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

 五月二十九日、
 二十六日のお手紙ありがとう。用向きから。『結核』送るばかりにしていてつい忘れていてつい三四日前に出しました。これとゆき違いに到着していますでしょうが、御免なさい。紐までかけておいてつい忘れたの。週刊朝日、日曜毎日はすぐ手配いたしましたが、本月から予約ぎりぎりの部数しかなくて、どこか一軒おやめになったらまわしますという有様で閉口です。週刊の方は出版局に杉村武という記者を知って居ますから、たのんで何とかして貰おうかと考え中です。毎日の方は当がなくて困りますが。明日は日曜だから待ってみて、次の段どりをします。『日本評論』、『文芸』、『独語文化』はつづけられます。『文芸春秋』に西村茂樹のことを山田孝雄がかいていましたね、ああいう政治家国学者にとかく評されて祖父も苦笑でしょう。『衛生学』はまだ発刊されていないそうです。もう本屋に久しい前から申しこんでありますが。
 森長さんのこと承知しました。火曜頃届けます。手紙をつけて。冬シャツは安積の方をこの夏しらべて貰います。私ももう一枚は無くてはならないと思ってそれで気にして居りますから。今年着ていた「袖抜け」と命名されたのは、そうなのよ。十年来のものです、そして肱がぬけましたか? 実によく役に立ちいろいろとすてがたいシャツ君ですが。では大事に洗ってよく虫よけいれて、休ませてやりましょうね。辛苦を倶にしたものですもの。そういえば今年の下着、二いろの布の合わされた綿入れはどこにいましょう? 前でしょうか? 前へお願いいたします。私はお言葉を服膺《ふくよう》して出かけませんが、とりにだけは行って貰いますから。
 ペンさんの嫁入り先の家は台湾の日糖とかいう会社につとめています。それは親父。若い人は石油の発掘専門の統制会社につとめています。姉たちは財閥の小番頭の又その番頭というようなところに嫁入っています。十三四とか部屋のある邸宅に今は若い連中だけいる由。花嫁は妹とともにその妹が嫁入る迄その家の掃除をしていなければならないから大変です。親戚に誰かかなり偉い司法関係の役人がいて(大臣級らしい。現役ではなく)、息子はそのおかげで就職万端どうやら形をつけてもらったらしい話です。若い人とつき合はありません。
 今はペンさんに迎えをして貰っているだけですが、六月一杯でおやめのことにしてあります、忙しくもなるでしょうし。
 女の気持は自分のことを考えてもいくらか推測がつきますから、その点はいくらか考えていたつもりです。
 同じ病気とたたかうにしても、医者が自分の効能書をよく見せようと診断を重く重くともって行って、恢復する条件がないようにないようにとするようなひどい場合、患者はどうしたってその診断に服すまいという気がおこるものではないでしょうか。よほどちゃんと医書もよんで病気の条件とその養生法とを客観的に判断出来ないと、この医者にころされていられるものかという気から下らぬ売薬に目もひかれるような場合があるものではないでしょうか。
 ろくでもない養生ぶりについて患者は、自分の感受性を裏づけるだけの闘病の経験も知識もかけていて、したがって意力も十分ではなかったのだと思います。自分の気もちとして、何これで死んでいられるか、という思いばかりはげしくて。信用出来ない薬をいや応なしのまされるとき、ダラダラ出来るだけ口の端から流し出さしてしまおうとするように。それは不様です。たしかに人前に出せた恰好ではありません。でも、単なる気弱さからとばかりも云えないのではないでしょうか。副作用のきついものを、そのときはいさぎよいようにのんで、あとの一生をその毒でふらふらしているのも多いし。
 私の病気は本当に複合的におこって、しかもいろいろに変化しますから、どうか段々病気にかかりかたもその話しかたも、ちゃんと会得してゆきたいと願って居ります。
 今マリー・アントワネットの伝記をツワイクがかいたのをよんで居ります。蟻の這うようによんでいますが、マリア・テレサという女王は、自分の位置と義務とをよく知っていた点で女傑であり、明君であったようです。彼女は娘のアントワネットにくりかえしくりかえし王后という地位がいかに負担の大きい退屈なものであり、しかもその位置にいるものはそれに対して責任をもっているかということをくりかえしくりかえし忠告しています。自分の立場をよかれあしかれ、楽しかれ苦しかれ、客観的にそれを十分に理解して処して行くことの出来る人は、ざらにはないものですね。誰でもいきなりからそれが出来るものではなく、それの可能な人は前提として誠実さ勤勉の資質がいるとツワイクは云っているが、これは本当です。テレサは歴史の鏡にてらして未来を見とおしたというより、三十何年間の女王としての経験からマリーの悲劇を予見し自国の将来にも暗さを見たのでしたが。
 これは私としては面白い本です。こんな目でわずかずつしかよめないが、よまない間にどっさり考えますから。歴史の波が或る人をのせてその人がのぞむのぞまないにかかわらず、歴史の突端におしあげてゆくという点からツワイクはアントワネットをかいているのです。
 自分を知って自主の人として歴史に対応しそれに働きかけたのではない人として。平凡人として。自分の義務によろこびを感じ誇を感じ、常に自分の主人である人は、人々が自身にそれを希望しているより、現実
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