銀行からの負債になっていますから、私が万一ふっとんだらその賠償《バイショー》で負債を返し、同時にそちらの生活費も運行してゆくよう計画しなければなりません。
(四)[#「(四)」は縦中横] 東京貯蓄銀行丸の内支店から、タンポで、島田へお送りした額の十倍までゆーづーするようにしてあります。そのうち本年一杯でおそらく三分の二は消費するでしょう。消費した額だけ返済すればよいわけです。私のねだん[#「ねだん」に傍点]はいくらか知らないが、少くともそちらの一年分は余るだろうと思います。
(五)[#「(五)」は縦中横] 返却後は、そちらに現在の凡そ一年分に少し足りないだけの定期収入があるでしょう。(現在の経済の組立てのままと仮定して)
(六)[#「(六)」は縦中横] それだけそちらで入用でない時には、みんな積立てておいて、その後の生活の足場とした方がよさそうに考えられます。島田の方もその時にどんな風かは知れず、たとえどんな仲よい同胞にしろ自分の妻子をかかえ経済的波瀾の激しいとき、共力するにしろ種《タネ》なしでいられては大分僻易らしいから。よい生活のためのプラクティカルな方法として。私の身にしみての実験です。
(七)[#「(七)」は縦中横] こちらの家では、国男が私のそういう事務をみんなやってくれています。万一の場合のためにいろんな書類は第一銀行の保護金庫に入れておく筈です。それは国男のかりているものですが。
(八)[#「(八)」は縦中横] 私がいないときのこれ迄の事務能力を見ると、私は安心してわが身一つはどうでもよいと思えません。国男さんが健在だとしても。話し合いの結果、迚もそちらの事務まで責任が負えないから誰か信用の出来る人が対手に欲しいというので、てっちゃんにこまかく話し、国男さんも満足で万一の場合には事務をやって貰います。てっちゃんの承認も得ました。私たちの委任した人として法律上の手続きがある方がやりよいようなら公証人にかかせてそれもやって置くつもりです。
(九)[#「(九)」は縦中横] 月末ごろともかく一度そちらへ伺います。そしてそのとき、銀行にタンポになっているものについてお話しいたしましょう。
(十)[#「(十)」は縦中横] そのものは母のかたみですから、あなたと私の用に立てて、よく役立てて不用になった時は寿江子にわたします。あれはピーピーの音楽修業で、どうせ一生ピースコなのですから、寿江子は自分が不用になれば甥たちのために考えるでしょうから。
こういう扱いかたは御異存があるでしょうとも思いますけれど、船がひっくりかえって波間を漂うときは小桶一つ板一枚が案外の役に立つようなものでね、その点むしろあわれに、笑える位のものだわ。あなたは笑ってききおいて下さればいいのよ。
(十一)[#(十一)は縦中横、「十一」は縦組み] こちらでは今のところ万事ひどい有様だから黙っているのも気の毒故、そちらの一ヵ月分ほどずつ払っています。それはごくの基本で雇人の心づけやいろいろ薬代その他は又別です。
字が妙なのに面白くもない手紙で相すみません。でもね、これだけきめて人にもたのみ、あなたも知っていて下さると私は安心してよく眠れるようになるのよ。
いろいろの場合に暮してみると、人々の生活は、どんなに自分のことにばかり追われているか、賢いにしろ愚かにせよそういうのが十人のうち九人以上で、親切な心は誰にでもあるものながらそれは実現する力は誰でも何と小さいでしょう。少し世の中を知ったものはその事情をよくわかって、親切の出来るような条件をこしらえておいて人々の親切も待ってやらなければ、と思うわね。自分たちの生活の日々が二六時中バランスを失いがちで重心が移動するのをやっと保つ玉のり生活をしているのが大部分の人だから、私たちは出来るだけ事務的な手かずで、ことが進んでゆくよう処置をしておいてやらなければ、弟妹たちに何の工夫や積極の考慮がつくでしょう。
こんなこと、毎晩よくよく考えて一つ一つと思いついて計画して、国男さんに云って事務処理をして貰いました。
私は衛生学よりももっとこういうことは知らないから、よく考えないと何も思いつかないで、考えつくためにはよほど頭もしぼるのよ。だから哀れな肝臓が、ヤーこれは珍しい疲れかただ、と音《ネ》をあげたのでしょう。
あれこれをすっかりすましたら私は、四月早々多分いつか行った上林のせきや[#「せきや」に傍点]あたりへ行きます。夏の間は東京に居ない方がよいと思いますから。
こちらだって戒厳的混乱は生じ得ますから。もう私は東京をはなれるのに所轄へことわって行けばそれだけでいいのだそうですし、山の中の温泉などはいろいろの点でよさそうです。
今まだこまかく予定が立ちませんが、四月から一ヵ月半ほど信州へ行って一寸かえって、改めて東北の方の東京人の入りこまない地方の人が鍋《ナベ》釜もって行くようなところへ行って九月一杯までいて、その間にすこしものも書きためようと思います。岩手の方に今しらべている温泉があり、そっちだと都合して手つだってもらえる十九ほどの娘さんが青森在から来てくれられるかもしれないので。
うちの連中は私一人でゆくことを大変不安がるし、自分も誰かいた方が無理しないから。伊豆なんかはお米をかついで行ってひるめしだけ三円、凡そ一日には十二三円以上かかることになって来ました。上林は米をまだもってゆかずといいし、あすこは樹木が多い道があっちこっち散歩するに目のためにいいと思って。カラリとした高原は今年は駄目です。肝臓のためには石見の三朝《みささ》が随一で、この次島田へ行くのは、そこをまわって小郡へ出て見たいものです。京都からのりかえて山陰本線土井までですから、今すぐでは無理でしょう。物資は大体西の方はゆとりないそうですが。
さあ、もうおやめね。
あなたの衣類はうちの連中のほかに栄さんにわかって貰うようにしました。いろいろと思慮の不足した処置があるかもしれないけれども、どうぞあしからず。これだけ手くばりしておいて万々※[#濁点付き小書き片仮名カ、44−5]一やけず、ふっとばずであったらそれはおめでたいというわけです。
では又近いうちに、別に。
三月十五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(代筆 田舎の風景の写真絵はがき)〕
この写真は春の日射しよりも秋らしいあざやかさですね、昔、『文新』から行った千葉の開墾部落もこうゆう家が並んでいました。あの時は南京豆がうんと作ってあって、おいしい山の芋の御馳走になりました。ああゆうじいさん、ばあさん達は畠に今何を植えているでしょう。腹の皮がくすぐったくなる程低空を飛行機が飛んでいました。こんな葉書はほんとに珍らしい。今日、明日に隆治さんに小包みを送ります。文庫では「マノン・レスコウ」と露伴の「為朝」でも入れましょう。今日もあたたかいこと。体の調子はようございますから御安心を。
三月十五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕
きのうの手紙で一つおとしたことを思い出し申上げます。
島田の方へお願いするということね、前便で御承知下すったとおりの有様で私たちとしては何とかまだやって見たいと思います。
あちらは、それはひところのことを思えばよほど様子はのんびりしていらっしゃいますが、達ちゃんはいつ留守になるかしれず、隆ちゃんはいず、トラックの方も変化するというきょうの様では、お母さんも友ちゃんや輝をひかえ、決してお気持にゆとりはありますまい。生活をこれ迄たたかって来てやっと少しはのんびり出来るかと思うと、というのがお年を召した方のお気持であろうと深くお察し申します。
さもなければ昨年から今までにあなたの方へ何とか実際的なこともあったかもしれず、私たちとしては、私たちが二十代でもなくなったのにと、やはり悲しいお気がするでしょう。だから、私が埃立てていて可哀そうとお思いにならなくていいわ。誰だって今日、埃っぽいのよ。借金暮しよ。そんなこともキューキューやりくって見て、智慧もしぼって、しかし人生はやっぱりそのほかのところに人一人生きたというねうちが在るのだと、益※[#二の字点、1−2−22]しみじみわかって、人間にうま味もユーモアもついて来るのでしょう。下らない苦労だと云ってしないですむものなら、代々の人間が何のために生きたのか分らないような苦労をつづけて生涯をこんなに綿々とつづけて来てもいないでしょうものね。私は、自分が子供のときのんびり育って、やがて少しは苦労をしのぐ能力も出来、苦労というものについての態度もややましになってから、あれこれのことの起ったのを仕合わせと思って居ります。もし私が子供時代のなりで年だけとったら、どんな半端なものになっていたでしょう。婆ちゃん嬢さんなんていうものは現代では悲喜劇よ。芸術家になんぞなれるものではない。極めて多くの人間が生活のどんなポイントでそれてゆくものか、そのポイントに自分が立ってみなければ分らない、人間の高貴さは観念でもわかるが、弱さは生活のなかをくぐって自分とひととを見なければ分らず、そんなあれこれが生活を知っているかいないかのわかれめとなるのでしょう。
自分で字をかくと一字一字は見えないから心と手との流れにのってかき、字はノラノラと、ちっとも自分の好きにはかけません。
お読みになるのも何だかいやでしょうと思うわ。もうこれで又当分代筆よ。
今日は十五日の夕方ですが、春めいた晩ですっかりくらくなったけれど、廊下をあけています。どこかで花の匂いがします。紅梅にちがいないと思い、あなたがいつかの早春にも桃とおまちがえになったこと思い出しました。香がきつすぎないこと?
三月十八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(代筆 絵はがき)〕
今日はあんまりよくないお知らせです。
山崎の小父様が十四日急逝なされました。多賀子から知らせてきました。島田のお母さんが珍らしく京都見物と奈良見物を思いたたれ多賀子を連れ、大阪の岡本のうち(かつ子のところ)へついたら電報がきて、十五日に早々母上だけお戻りになったそうです。二年程前、お目にかかったのが終りになりました。あなたからのお悔みの言葉として、手紙とお供早速送りました。母上へは別に手紙差しあげます。さぞさぞお力落しでしょう。あの小父様は私達の心持に暖かい面影を持ったかたでした。そして、淋しそうな方でした。
三月二十二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(代筆 絵はがき)〕
御注文の本寺田と茂吉は岩波新書ですが、何しろこの頃の本のなさといったら猛烈だからおそらくは入手難でしょう。世田谷のお友達が寺田の方はお持ちかも知れません、『自動車部隊』は佐藤観次郎という人のでしょう? 今また行っています。どの人の手紙も断りなく出したからあんまりジャーナリスティックなやり方で誰しも大して好感を持てませんでした。いろんな人があるものね、はじめ手紙よこしたから戦地に居る人と思い、志賀さんなんかも返事したのね。
肝臓はすっかりおさまって居ります。
風邪をどうぞこれからもおひきにならない様に。
三月二十二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(代筆 絵はがき)〕
六日付のお手紙、今日(二十二日)いただきました。珍らしく手間どりました。私が先週の日曜頃出した書留の手紙はごらんいただいたでしょうか。本のこととりはからいます。隆治さんの方へはまだ小包を受付けないので語学の本だけ巻いて送りました。それさえ書留は受けませんでした。袷着物、羽織、合シャツ上下、お送りします。『〓世界地図』やっと買えました。『世界大戦とその戦略』古本でみつけていれました。『農民離村の実証的研究』と三冊お送りします。いずれ別便で。
三月二十二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(代筆 封書)〕
ゆっくりほかのこととまぜて申しあげようと思っていたけれど、ペンさんが来てくれているので一筆。
空からの御光来については、どこでもまるで合理的な準備は出来ず、それは個人達の怠慢というよりも、
前へ
次へ
全44ページ中6ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング