ところが現れてたのもしく感じ、又いとしいと感じます。そして私たちが一番そのことを明瞭に感じ評価もするのだと感じます。
 では又かきてのつかまったとき細かく。
 これはいい紙で心もちがよいことね。かぜを召さぬように。
  二十四日

 二月二十八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(代筆 封書)〕

 二十日の御手紙にすっかり返事を書切らない内に二十五日の拝見しました。十三日が腹ペコの絶頂とは何と云うことでしたろう。想像力に限りがあると云うことは、後で事実を知ると痛切に感じます。何んにもお芽出度いことばかりその日に限って考えていると云うのではないけれども、まさかにそう云うことは思いもつきませんでした。それでも方法がついて何よりです。こちらはお医者の証明でパンを半斤もらい、それと引換えにお米がへっています。そちらより早くこちらが無くなると云うことはマア当然でしょう。果物、野菜についてもそうでしたから。パンに付ける何かのジャムがあるでしょうか。私は随分高いリンゴジャムか何かを買った覚えがあるけれども。全くこの頃はお腹をたっぷりさせることが一仕事ね。うちでは二分づきの米に大根や蕪をきざんで入れて、東北の貧しい農夫と同じような御飯を食べます。それでも家は良い方でしょう。したがって女の人の衛生学の知識はますます必要で、快適に生活するどころか、生存を最大の可能で保ってゆくために緊急事だと云うことになって来ています。私はその点乙位のところよ。なかなか知っているのよ。去年体中小豆のなかに落ちたようになった時も、これは危いと思って血液の酸化を少しでもふせごうと飲めるだけ塩水をのんだけれど結局、口から飲める濃さの塩水なんかでは中和出来ないわけでした。今のような条件のなかでは、至る処で度外れなことが始るから、衛生の知識もその応用も全くダイナミックでなければなりません。例えばね、うちの健啖之助は、哀れなことに近頃の牛乳が半分水なもので倍ものんだと云うことが判りました。こんな始末です。
 隆治さんからハガキが来たことは申上げた通り。早速『マライ語会話』(軍用)と有光社の『マライの歴史・自然・文化』という本を注文しました。来たらば他にのんびりと慰めになるものと一緒に送りましょう。兵タンらしいわね。
 富雄さんの友達が一ヵ月ほど帰って来て、又行くにつき、何か変った物を持たせてやりたいと、色々物色して歩いてもらいましたが、布ではった煙草入れと云うものさえ無くて、途方にくれ、昔から私が持っていた浮世絵の本から北斎の「冨士」と、歌麿の少女がラッパを吹いているあどけない傑作とを切って、経師屋でふちどりをさせ、壁にはれるようにして送りました。もう何年もあちらにいれば、浴衣の紺と白とがなつかしいように、日本の色調が気持よいだろうと思って。今にまた何か考えて隆治さんにも送りたいと思います。でもあの人は食物をはこんでみなの為に島からしまへと動いているのではないでしょうか。そう云う間にも一寸出してみれば気も慰むと云うものは何でしょう。今の処、知慧はまだ出ません。締切りなしの執筆と云うこと。この頃のような時間の使いかたを私は命がけで吾が物にしているのだから、底のそこまで味い、役に立て、自分の成長をとげなければならないと思っています。これ迄も小説は一日七枚以上書けたことがなく、一夜で書きとばすと云う芸当はやったことが有りませんでした。然し、矢張り時間にはせかれていて、書く迄のこねかたが不充分だったり、書きつつある間の集注が妨げられたりしたことはあったと思います。この数年、それ迄は知らなかった時間的な緊張のなかに置かれて(心理的にも)今、こうやって体のために仕事を中絶までしていると云うことは、決して単なるめぐりあわせではありません。
 スエコが目下開催中の明治名作展を見て来て、其処にあるものは、絵にしろ、彫刻にしろ、この頃出来のものとはまるで違って、観ても見あきず、時間をかけてみればみる程値うちが迫って来ると云う話をきき、初めて自分の外出出来ないことや、物のみられないことが口惜しく思えました。そこの事よ、ね。その奥行きとこく[#「こく」に傍点]とは何から出るでしょう。作者が自身のテーマに全幅の力を傾け尽し、何処にもはしょらずテーマの要求する時間の一杯を余さず注ぎこんでいるからこそで、一寸した絵ハガキを見ても当時の人がテーマと題材に就てどんなに真面目に考えて居たか、一つも思いつきではなくて追求の結果であると云うことを明瞭に感じます。スエコが日参するねうちがあると云ったが、それは本当でしょう。性根に水を浴せられる処があるに違いない。二十八日で終ってしまいました。
 絵描きでも作家でも注文としめ切りがなくて、チャンチャン毎日何かを造り出してゆくようになれば、恐るべきです。名作展をみても今日の大家の初期の作品が良くて、現在どんなに芸術家としては生き恥をさらしているかと云うことを感じさせるものが少くなかった由、人間が一人前になる迄には実際、水をくぐり、火をくぐりですね。
 昨日、私はアアチャンにつかまって二三丁の処を出初め致しました。みんなが梯子がなくってお気の毒とからかいました。足どりはノロノロながら確実ですが、道路や家や、人のかおの反射がひどくて、どうも色目鏡がいりそうです。早速、衛生学を振りまわし、午後四時過ぎ、通る処は日陰になってから出かけましたが。もう一つ可笑しいことがあります。一週間ほど背中の肝臓の裏の処が筋肉的に痛くて、フトもと肝臓をやったときのことを思い起し、だいぶえらいめに合わせたから、と神経をたてていたところ、今夜、例によってみんなの御飯をつけてやろうとしていたら、その時、椅子の上で体をねじり丁度其処の処がねじれるのが判りました。体が弱い時には何と云う小さいことがおかしな結果を起すのでしょう。スエコさんと場所を代り、それで私の肝臓病も病源をあきらかにしたと云うわけです。ずっと私は其処に坐って、アッコオバチャンらしく、例えまざった御飯にしろ美味しいようにみんなによそってやっていたのよ。私は御飯をよそうのが好きなの。お風呂の火をたくことも。
 今日あたりは空気もやわらいで、もうこの調子でしょう。お金、とりあえずちょんびり送り、明日少しまとめてお送りします。薬、まだよいでしょうか。又少しためてお送りしておいた方が安全ね。

 三月二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(代筆 都鳥英喜筆「戦傷士の俤」の絵はがき)〕

『衛生学』はもう十一月頃出版されていてそれを只今本屋に注文中です。教材社からは二月中旬にお金を返してきました。第一書房の方はおっしゃるとおりに申してやりましょう。手紙の方へ落したので追加の返事いたします。これも名作展に出ていた一つ。近頃のガタガタの画になれた眼でみると日本人が描いたものかと驚く位です。気候がゆるみましたがお風邪は大丈夫ですか。今年はいつもと違って最近のうちに敷布団の取り変えなどはしておいた方がよさそうです、そのお心づもり下さい。

 三月九日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(代筆 川村清雄筆「画室」の絵はがき)〕

 三月九日(2)
 この画家の大きな絵が食堂にかかっていて、もし爆風をくらえば額の重さとガラスの破片だけで子供の一人や二人は結構片附くから危いことのないうちに処分しようと言っています。もう暫らくすると自分で書けるようになるから、そしたらこの三つのお手紙にたまっている家事的な御返事を致しましょう。かなり細かく知っていただきたいこともありますから。平ったく押してくる火事で、こげはしないが天から直通ではどこへ飛ぶかわからないから、百合子飛散の後でも現実の用事だけは残りますからね。島田行きのこと、私も行きたいけれども秋以後のことと考えて置いた方がよさそうでまだ充分丈夫でないことの他もっと理由がありますが、それは何《いず》れ手紙で書きます。わけはお母さんにも申せばすぐおわかりで私の考えに御賛成下さることです。

 三月十三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書 書留)〕

 十三日
 十二日づけのお手紙をありがとう。
 体の工合は大分ましになりました。まだ疲れがのこっているけれども。床はしいてありますが、夕飯などは下へ行って皆とたべて居ります。この間一寸歩いたというようなことは直接さわってはいず、寧ろ、この間うちから、何しろ未曾有の春ですから、あれこれと頭をひねって心労もしたりしたのが幾分こたえたのでしょう。何しろあんまり馴れていないことですから。それこれも順調にはかどったから安心で、もうのんきになれます。自分だけのことで、あせったりはしないのよ、何を早くどうしようなどという点では御心配無用です。
 きょうは、一寸代筆では困ることだけ、こんならんぼうな手さぐり字で申上げます。
 あちらへ行くことは御親切もわかり、いいこともわかりますが、私としては空からの不安のなくなった(大体)季節でないと困ります。そのわけは、徳山、光は全く特殊な性質の都市ですから、そういうことになれば直ちに戒厳状態に入ります。今でさえも半分はそうで、親の御機嫌伺いにゆくのにもう次の日はオートバイで室積からわざわざ来てスケジュールをきいて何日にどこへ行くかという次第です。達ちゃんの御祝儀で何とかいう町の料亭へ行ったときは、制服のひとが敬意を表するために来てくれて、別室へあがって面会をしなければなりませんでした。何時にどのバスでどこへ誰と行ったということ迄一々で大した名士なのよ。だから私はいつも全くうんざりです。土地の風で女が昼間散歩するということはないからとお母さんも気をおつかいになるから、あちらにいるときは殆どお墓へ行ったりするだけです。
 丈夫な時ならだけれども、今のようなとき、私はそういう名士は実に願い下げですし、東京では、ともかく命がけの形で、身元もわかった人間になっているのに、あちらでは文化関係もその他のことも見境なしで、あわてた時には、何はともあれ落度なからんこと専一で、どんな待遇になるか、それこそ見とおし不可能です。憲兵の方と二つが錯交して、そこいらのことも甚だ微妙です。これ迄余りはっきりはかきませんでしたが、あちらへ行ったときは、いつもそれが苦痛でした。今度のような時期にはいやだ位ですまないと閉口だから、伺うにしろ冬になって少くとも、現在のように益※[#二の字点、1−2−22]緊張に向う時はさけるつもりです。
 おかあさんも、私たちのことだけお思召しなるときには、そのことをつい念頭からはなしていらっしゃるけれど、あすこにいれば随分度々困った顔もなさらなければならず、私が外へ出ることを不安にもお感じになります。もう二三日したらこういうことをはっきり申上げ、私がこれからあちらにゆくのは大体春夏から秋まではさけるよう申上げておきましょう。あなたからは、ユリコからこまかく申上るが、尤もな理由だから秋以後がよかろうと思うと申上げてお置き下さい。
 それから、これは、私たちの家事的処置について。
 ここは市内としては割合安全な方ですが、類焼はさけ難いものとして万事備えておくのが妥当です。去年の四月の十倍二十倍のものが降って来ることはたしからしいから。
(一)[#「(一)」は縦中横] 書籍は金に代えることの出来ないものですが、ともかく動産保険にかけ、その幾割かをかえす空襲保険をかけました。島田へお送りした四倍ほどの額です。
(二)[#「(二)」は縦中横] もし最悪の場合、私がふっとんでしまったら大変困りますから、そのためには四月一日から受付る戦時生命傷害保険に入ります。
 これはディテールまだわからず、手続きは全く簡単です。最高五千円までを恐らく非常に条件つきで小切るのではないかと思います。年齢、職業、男女別等。しかし私はいずれにしろ自分の条件の最高までをかけておきましょう。これは動産に対する保険とちがい、生命保険にあらかじめ入っていないでよいから私にも出来ようというわけです。
(三)[#「(三)」は縦中横] 右のことは現在私たちのやりくりが赤字で
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