を擾《みだ》されたりして自分たちの生活の不秩序を来したりは決して致しますまい。
 ごく甘えを失って観察すれば、ここの二人に対して、即効的ききめのある存在と自分をしよう、出来るように思ったりしたのが、私の自惚《うぬぼ》れです。価値の問題ではないのですからね。いらないものは、どんないいものでもいらないのだわ。いるでしょう? いる筈だわ、なんて気を揉むのは大甘ね。そして、それが全く必要のところに手がまわりかねる気分に乱されるなんて、何て愚かでしょう。こうやって、自惚れをはがされるのは笑止であり結構なことです。わるいものからも教訓があるという例だと思われます。私は謙遜に自分の力を知って、自分の一番大事なことを万遺洩なからんことを期して居ればよいのだわ。この間うちのガタガタは、本質的に、もうくりかえされないと思います。白旗を出しておいて、半兵衛をきめこむ修練はまだ幸にしてつまれて居りませんから。本当に、ガタガタにまきこまれてガタついて、わるかったと思うの、わるいというよりも弱いと思うし、見境いが足りないと思いました。見境の足りないというところは大分あるらしいわ、私に。そういう場合が善良だなどということは、悪計と看破出来なかった人が、自分の正直さを自分の気休めのために云い立てると同様意味なく、気の毒なことです。修業して、生活において、練達になりましょうね。十分思いやりもあり、世話もしてやり、しかし「世話好きな人」だったり「おせっかい」だったりしないことが大事です。いつも勤勉でね。
 ここの生活では、あっこおばちゃんは御勉強、さもなければ、そちらへ御出勤。という不動の日課で一貫されていることが大切です。私のためばかりでなく。そういう一つのいつもグラつかないものがあることが大事です。太郎なんかの生活気分にも。そして、細君は、私をあて[#「あて」に傍点]にて[#「て」に「ママ」の注記]はならないもの、という事を一層知らなければなりません。自分が外出していて、旦那君が戻る時刻になれば、あっこおばちゃんが何とかつないでおいてくれるだろう、などと思わず、私も弱気にならず、咲のすることはブランクになればなったで国がむくれるならばむくれていればよいのです(私の辛棒もいることですが)そうして、責任ということも知り、国はいつもサービスされることを平常と思わないようになればいいのです。こんな話はもうこれでおしまいにしましょうね。今年のおしまいではなく、すっかりおしまいにしたいわ。こっちのゴタゴタはいつどう納まるかも知れませんから、自分の暮しかたをきめて、其を守って、私たちの生活へ波及はさせまいと思います。
 今度の経験は目白なんかで暮していた時のケロリと又ちがって、気分の荒らされた状態で生じた粗漏さなのね。これは、連爆の価値があります、正気に戻すために、ね。荒らされかかったわが畑の土の工合を、目をおとして沁々と見なおすために。そして、思うのよ、あなたは其ことのためにいやな思いをなさるばかりでなく、いやな思いをしていらっしゃることを私の骨身にしみこませ、私の視点を定めさせ、手元を順調に戻すためには、何日も何日も根気よく追究していらっしゃらなければならないのだから、私は何たる動物か、と。
 全くブランカだと思います。私には、何よりあなたの表情がよく分るのよ。へまをして、不快にお思いになるとき、又あなたの顔は何と雄弁でしょう。私は尻尾をたれて、耳を伏せてしまうわ。その反応の素早さ。けれども其では何にもならないわけです。殆ど肉体的な反響なのだから。ああ、あなたがいやにお思いになる、そのことがいやで辛い、というわけだから。それから、いやなわけが明かにされ、それが納得され、全体の生活のこととして分って、自分の心の状態もさぐって、そして、答えが出るのですもの。それは一日一緒に暮していれば、1/3は発生もしないことであり、半月以上かかる往復も数分の話ですむでしょうに。益※[#二の字点、1−2−22]練達にならずにはおけないわけです。
 そういう条件がマイナスとしてあるならば私たちは其から人間修業のプラスを生まなければならないのですから。そういう価値の転換こそ芸術家の本質です。芸術家にとって、世俗の不幸が不幸としてだけの形で存在はしないように。
 便、不便を眼目としない生きかたというものは、生活と人生というものの微妙な差別を知り、人生を生きようとする雄々しい人たちにだけ可能なことです。生活の道づれになることさえ大きい誠実がいります。人生の伴侶ということは、全く人生的な努力であり、伴侶たるものもやはり人生を生き得る力をもたなければなりません。そして、人生は生活されるのだわ。だから、日常のあらゆる些事が同じ些事ながら実質を異にしたものとして、人生の建設として配置され、くり返されてゆくわけです。ブランカは、本能の中にその美しさを嗅ぎつけて居り、其をのぞみ、いくらか丈夫な脚ももっているのですが、昔話の久米仙人のように、雲から片脚はずすことが間々あるのね。ロボーのように堂々として、ゆるぎなく、光のようにまじりけないわけに行かないのは悲しいことです。
 金《きん》の心、ということが形容でないことを感じるのは何と大したことでしょう。わたしはこの春思わず声に出して、ああ、これこそ純金だ、と感じたことがあります、今もその感じが甦ります。
 金に青銅の一定量が混った鉄びんのふたというものが昔つくられました。それは一つの芸術品で、よいふくらみをもった鉄びんに、そういうふたがのると、湯の煮えるにつれて実に実に澄んだいい音がして、気もしずまります。そういうものの一つが、ずっと質のわるいのだがユリのところにあって、冬はよくその音をききました。火鉢にかけて。金《きん》だけではそういういい音に鳴れないのよ。質の下ったしかし不可欠の青銅が入らなくなっては、其が音を冴えさせないというのは、面白いことね。「新しき合金」というオストロフスキーの小説の題は、そのことから考えても、本当に新しい題だったのですね、青銅が、ブロンズ・エイジ風の質にしろ、その質として純粋でなくては、金に混ぜることは出来ないでしょうし。自分だけではなれない青銅が金と合わされて、金をも音にたて自分も鳴るとき、うれしさはいかばかりでしょう。つよく弱く、遠いように近いように、それは鳴ります。小さな鈴をふるようなリンリンというとも鳴りを、松籟の間に響かせて。
 この手紙はこれで終り。その小さい、いい音がそこにも聴えるでしょうか。

 十二月二十五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

 十二月二十五日
 いまうちにいるのは子供二人、手伝い、私だけ。寿江子はアパートさがしに出かけ、二人と太郎とは伊豆行です。ことしの暮は、珍しく三十一日までおめにかかれますね、十年ぶりに。
 十六日のあとのお手紙というのは、いまだに着きませんどうしたのかしら。いつも二三日、五日で来るのに。御自分の宛名(住所)おかきになったのではなかったかしら。それでいいようなものの郵便は字面で動くので、却って不便もあるわけです。わたしはきのう南の兵隊さんにハガキ出して、切手がはっていないことを思い出したのは、二時間も経って、そちらで、ぼんやり待っていた間でした。
 寿も、いよいよ期日になって、わたしも随分気をもみ、友達たちにあれこれたのみましたが、やはり家はなく、ともかくアパートをきめると云って、出かけている次第です。一人でそんなことしてさがしているのは哀れで困りますが、私がついてやるわけにもゆかず、咲は全くえりがみをつかまれているようで自分の判断で行動出来ず、するべき立場であるという道理でおす力もなく、三人づれで出かけて、明夕かえると、翌日は又三十一日迄留守いたします。わたしのこれまでの生活の中では自分がしたこともないし、ひとにされようとも思わなかった暮しぶりというものをまざまざと見てなかなか感想が浅くありません。そういうなかで何年も暮した寿が、自分一人にとじこもった傾となり、ひとを信じ切らず、その人も何か悧巧すぎて薄情という感じを与える人となったのも、云わば無理ありません。他人の中に暮すということは、こちらで気をつかうことも多いが、つかった丈の気を活きるところもあって、その人なりのねうちで暮せるのは、却ってさっぱりしていて、こじれた所がなくて、寿のためにようございます。でもね、わたしとすると、ここで生れて育った年下のものを、全く何一つしてやらず、はぐたの皿小鉢ぐらいちょこちょこ集めてやって、家さがしの話を話していても一つも助けてやらず、家から出すということを、普通のことのようにするのは、大した努力よ。寿江子のために勇気を出しておこるのをもおさえ、悲しいのもこらえ、新しい生活でのいい面を押し出してやらなければなりません。わたし達は、この家で生れたのではないのよ。私は小石川原町。国は札幌。ですから五歳以後からこの家に住んだだけです。寿はここで生れ、兄をしたって子供時代をすごしました。国はここの家を自分の家と思っているわけですが、寿にすれば、親の家ですからね。そこの感じは大変ちがいます。
 寿が可哀想だから、あなたも寿江子がいいところを見つけるように、健康に愉快に勉強して暮すように、と云って下すったとつたえました。よろこんで居りました。シーンとして、早く出てゆくのだけ待っているような日々で、わたしが気をもんでいるばかりでは、寿も哀れですから。どうか、おついでのとき、寿江子にハガキかいてやって下さい。ここ宛でようございます、却って。渡しますから。そして、どうか兄さんとして、温情と道理と勇気をもった言葉を与えてやって下さいまし。寿の生活態度で私の気に入らないところをいろいろ見ると、環境から、その反射みたいなところが沢山あって、気がつよいようで弱いから、自分の暖かさがヒイヤリしたものにさわると、引こんで自分もつめたくなってしまうのね。其関係で状態は悪化するのです。わたしのように自分をむき出して、おこったり親切したりではないのね。寿が何か云うときの皮肉さ、冗談らしく云われる侮蔑は、全く針のようよ。はっと思うことがあります。それをそう感じるような人には寿は決して云うわけもない、というわけです。
 こういうことを考えても、侮蔑や憎悪にさされて暮すより、一人での方がずっといいわ、自然なだけでも。家庭というものは、全くピンからキリまでありますね。気心のわかった信頼にみちた、そして人間の向上する欲望をひとりでにもっている家庭というものは多くはないものなのかもしれないわね。親切さのあるのさえ。
 きょうはつづけて、もう一通かくのよ。それでは淙々としたせせらぎの鳴るのを聴きましょう。霜のおりた、松の葉のしげみの下に、伊豆は、冬でもりんどうの花が咲いて居ります。冬でも、りんどうは咲かずにいられないのね。紅く色づいたはじの木の葉が、りんどうの花の上におちます。音もなく、風が吹いたとも覚えず。西日は木立の幹々を黒く浮き立たしてその叢にさしていますが、花の上に散り重ったはじの葉の色に、あらゆる光と熱をあつめたように、一点にこって滴ります。
 そして、その輝きの上にサラサラと雪が降りかかります。

 十二月二十五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

 十二月二十五日 第二部
 今ふっと気がついて奇異の感にうたれました。十二月二十五日と云えばクリスマスでしょう、いろんな国々では前線でさえ何かの形でお祝いして居るわけです。ディケンズは、クリスマス・イーヴに鳴る鐘の音で、因業おやじさえ改悛すると考えましたし、人々は其をうけ入れました。わたしたちのぐるりにあるこの静寂はどうでしょう。時計のチクタクと田端の方の汽車の音だけ。それに私がこうやって話しているペンの音と。日本はキリストの誕生にも煩わされていません。ニイチェならよろこんだでしょうね。
 そう云えば、この頃は紙がないのにニイチェ流行です、いく通りも本が出ます。そういう時期が昔にもあったわけでした。樗牛。この美文家はニイチェをかじって歯
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