をかいて、日蓮へ移りました。チェホフの時代ペシコフの初期に、ニイチェが流布したという話です。樗牛が美的生活というよび名で表現したものがニイチェのよまれる生活の根底にあってのことでしょう、今日の流行も、ね。
ワグナアはニイチェと親しかったけれども、オペラをつくって、王フリードリッヒに、統御の方法として音楽による馴致は有効であると建言して、自身のオペラを隆盛ならしめるようになってからは、ニイチェを邪魔にしました。原因はニイチェが馬鹿正直で、ワグナアに忠実で、心から賞め、心から批評するのが、策略にとんだワグナアにはありがためいわくになったからだそうです。ワグナアが真面目を発揮して、秀吉に対する千利休より遙かに外交的、政治的、従って非芸術的に処世して宗教オペラなどこしらえるので、やはり段々真面目を発揮して来て、バイブルは手袋なしには読まれない、余りきたないから、と云うようになったニイチェが、お前さん正気かと心配するという有様で、ワグナーは、凡俗人の数でオペラを支えようとしているから、常識に挑むニイチェは不便になりました。そしてうんと冷やかに扱い、ニイチェが傷ついてワグナアの顔を二度と見るに耐えないようにしました。自分は冷静なのよ、ね勿論。バルザックは小説の中で云っています。非常に親しい人々の間に、全くおどろくような疎隔が生じる場合がある。人々は理解しがたいことに思う。しかし其は最も理解しやすいことだ、何故なら、親しい全く調和した互の心の交渉をもった人々は、その調和を破る一つの不誠、一つの裏切りにもたえないほど、緊密な結ばれかたをしているのだから。と。これは本当であると思います。いくつかの近頃の経験でそう思います。宝は宝として大事にしなければいけないわけです、ルビーはあのように紅く濃く、誠実のしるしだから丈夫な宝石だろうと、火にかけて代用食を焼こうとすればルビーは破《わ》れて散ってしまいましょう。
大事なものの大切さは私達に分っているよりももっとねうちの大したものね。多くの場合、心の足りなさから大事なものを失って、そのあとになって全くあれは大切だったと心づくのでしょう。大事なものは、風化作用もうけずに永もちすると勘ちがいもするのね、浅はかな貪慾心から。
おもと一本だって、やぶ柑子の土とはちがった土で育てられるのにね。小鳥さえ各※[#二の字点、1−2−22]ちがった餌で育つのですものね。
大きい智慧、ぬけめない配慮、天使の頬っぺたのような天真爛漫な率直さ。
バルザックを読んで、いろいろ考えます。そして本当のフランス文学史は少くともまだ日本文ではないと思いました。「現代史の裏面」これにはディケンズがフランスに与えた影響について考えさせます。今よんでいる「暗黒事件」は、ナポレオン時代というものの混沌さ、あの時代からあとに出来た所謂貴族[#「貴族」に傍点]のいかがわしさが、おそろしく描かれています。フランスが、亡命貴族の土地財産をこっそり或は大ぴらに買い取った二股膏薬どもを貴族として持っているからこそ、あの一方から考えると奇妙でさえある伝統の尊重、本当の貴族への評価があって、しかも貴族[#「貴族」に傍点]はいつも競売にさらされているようなわけだと分りました。
この前、ツワイクがフーシェという人物をかいている、そのもとがバルザックだということお話しいたしましたね、この「暗黒事件」にタレーランやなどとフーシェが出て来てフーシェに巻きついて血をすった最後は伯爵某が、小説の奸悪な、向背恒ないナポレオン時代のきれ者たるマランとい主人公です。
フーシェは、バルザックの方が生きた大した冷血漢、非良心な政治家の典型としてかいて居ります。ツワイクはセンチメンタルです。フーシェという冷血な裏切り者、奸策という風にしか明察も明敏も作用しない男を、裏切る情熱しか知らない、謂わばプレドミネートした力に支配される人間という、観念的なみかたをして居ります。バルザックの方が頭脳強壮ね。フーシェをひらく合鍵というようなものに拘泥しては居りません。山嶽党の失墜、火の消えかかる時代、ナポレオン、ブリューメル、イエナの勝敗と、たてつづく大動揺のフランス政情の間に、いつも内外に機をうかがっている亡命貴族、それが戻って来て、自分の掠奪物をとり戻すことをおそれている所謂共和主義者たち、恥などというものの存在しない保身術などの恐ろしい迅風の間に、いろいろの歴史的うらみや背景が一人の出世の道にたたまって来ているという風なフランスの当時で、(ギヨチンに賛成しないと命が危い、一寸たったら、その時代のその身の処しかたが物笑いになる(ナポレオン時代)更にそのはじめのことで、命があぶない(王政復古)というめまぐるしさの間で、)全く冷静な、純情など薬にしたくもない政治家のフーシェ、タレイランなどが、今日の人々の日常では想像の出来ない悪業に平気だったということは分ります。ツワイクの時代の空気は理性的です。バルザックの空気には毒素となって当時が尾をひいていて、バルザックはその中でフーシェなんかをグーッとつかんでいるのね。バルザックという作家は、フランスの鼻もちならぬ塵塚、塵芥堀の中から、のたうって芽を出した大南瓜ね。まあその蔓の太いこと、剛毛のひどいこと、青臭いこと! その実の大きくて赤くて、肉が厚くて、美味で一寸泥くさいことと云ったら! 人間が喰われてしまいそうな化物南瓜ね。痛快至極の怪物です。ユーゴーの通俗性とはちがった巨大さです。ユーゴーは、とんまや道学者にも分る立派さです、ゲーテ同様。小にしては藤村の如く。バルザックは偉大さとお人よしと博大さと俗っぽさと、すべてが男らしくて、横溢していて、強壮で成熟して、物怯じしない人間だけにうけいれられるいきものです。バルザックは、手がぬるりと滑るほど膏ぎっていて、それが気味わるいということはあっても、きたないと云う人物ではありません。野卑だが劣等でないというような表現もあり得るものなのですね。そして、上品できたない人間に、野卑であっても気持のきれいな男が、唾をはきかけることも分ります。バルザックは妹に、小説の原稿をよんで貰い、文章に手を入れさせ――溢れるところに、土堤をこしらえさせました。その妹に、すごい別嬪だよ、というような語調でハンスカ夫人のことなどうちあけているのよ。
バルザックのねうちが分るためには、人間鑑識の目がよほどリアリスティックに高められなければなりませんね。羽織の紐をブラリブラリと悠々たらして、奴凧のように出現する無比の好漢は、エティケットを云々する文化女史にとって、どんなに大ざっぱで可怪しい工合に見えることでしょう。ロダンはバルザックをあの有名な仕事着《ガウン》姿で、ロダンらしく、すこし凄みすぎて甘みぬきにしすぎて居ると思います。バルザックはああいう英雄ではないわ(ロダンのバルザック記念像の形、覚えていらっしゃるでしょう? あのヌーとした。巖のような)ぼってりして肉厚な体で、テレリとしたところもある口元の、シャボテンで云えば厚肉種です、汁の多いたちよ。余りまじり気なく男で、女性の影響なしにいられなかった、そういう男です。
炬燵に入って、こんな話を次から次へしたとしたら、どうでしょう。ところが、そうなったらおそらくわたしは一ことも云わないで半日たっぷりくらすでしょう。そういう午後を知って居ります。国府津の大長椅子は。足の先だけ、一寸火の入ったアンカにのせて、却ってそういう時は、どっさり話すのね。話したことをおぼえていられなかったのは何とおもしろいでしょう。小さなあんか[#「あんか」に傍点]はきゅうくつでした。きゅうくつさは、今も愛らしく思われます。動くとそこからすべり落ちるという風に、小さい冬ごもりのけもののように、並んで小さい火の上にとまっていてね。ぬくもりはなおまざまざとあります、それは十二月のいつの日でしたろう。
「春のある冬」という題の詩がありましょう、もう古典となっているほど読まれ、年々に愛されて居りますが。
続篇に「この風は」というのが出るようです。第一章のはじまりは、飾りない素朴さで、この風はどこから吹いて来るのだろう、という句ではじまります。外景は冬枯れて、雪の凍った眺めです、灰色空がすこし黄っぽく見えるのは、西日のせい。木枯しが今途絶えています。木枯は北から吹きます。ふと、思いがけない南の方から、何か風がわたって来ます、ああでもそれは風とも云えないほどの大気のうごきです、が、そのそよめきは、雪の下の雪割草に、不思議な歓喜を覚えさせました。雪割草は今世界が創ったというように自分のめざめを感じ、期待にみちて、又その風が雪のおもてを過ぎるのを待ちます。又風は渡って来ました。この冬のさなかに、それは何の風でしょう、雪割草がこんなに瑞々しく蕾をふくらませ、薄紅い柔らかな萼をうるませ、今こそ花咲かんという風情にうるむのは、その風がどこから吹くのでしょう。蕾はふっくりとふくらみ、汗ばみ、匂い立ち、花だけの知っている音を立てて開きそうです。でも、雪は、花の上を被うて居ります。花のぬくみで雪はとけます、けれども、あたりは冬です。月の冴える夜、枯れ枝に氷の花がつきます。その氷の花は、青く燦めきます、雪割草は白い、花弁の円みをおびた花です。蕊の色はしぶい赤です。その花より雪が白いというのは、雪が生きものでないからです。又別の日風が、雪の上をわたり、雪割草が目ざめました。雪割草はじっと蕾を傾け、自分のしなやかな溜息をききました。風もその息づきをききました。そしてその溜息を自分のふところの中に抱きとって、すぎてゆきました。が、それからは、その風が渡って来る毎に、雪割草の上に、小さい人目に立たない七色の虹がかかるようになりました。虹は夏の空にだけかかるものではなかったのでした。雪割草の花咲こうとするあたたかみを、風はゆすって、滴る花しずくは、仄かな冬の虹となりました。
底本:「宮本百合子全集 第二十二巻」新日本出版社
1981(昭和56)年1月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
※初出情報は、「獄中への手紙 一九四五年(昭和二十)」のファイル末に、一括して記載します。
※各手紙の冒頭の日付は、底本ではゴシック体で組まれています。
※底本巻末の注の内、宮本百合子自身が「十二年の手紙」(筑摩書房)編集時に付けたもの、もしくは手紙自体につけたものを「自注」として、通し番号を付して入力しました。
※「自注」は、それぞれの手紙の後に、2字下げで組み入れました。
※底本で「不明」とされている文字には、「〓」をあてました。
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:柴田卓治
校正:花田泰治郎
2005年1月4日作成
青空文庫作成ファイル:
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