ければ、大きさも、これは必要、というよりどころからだけ丸められているし。
 ケロリ式の子の首ねっこつかまえて、その大きくて苦い丸薬をのませる仕事をさせて相すみません。でもね、あんまり丸薬が大きいと、のどを通すのに目玉を白黒させるから、先ずのむとやれと、ぼんやりしてしまうということも起るのよ(これは、又忽ちケロリになるということではありません)後世のひとがもしこういうあなたのお手紙をよむことでもあったら、ユリは何という気の毒な、だらしなしと思うでしょうね。駑馬《どば》の尻に鞭が鳴っているようで。まあそれもいいわ。
 御注文の本で、新本で買えないのは古本で見つけて貰うよう注文してあります。プルタークも、「風と共に」、も「新生」も。「新生」はこんど出る全集の中にあるでしょうからもしかしたら買えるが、ひどい売り方をするのでしょう。未亡人が物質的に大した人で総領息子と版権のとりっこをしているから、全部予約とでもいうことにするかもしれませんね。まだわかりませんけれ共。
 普通の暮しかたとちがう生活では、私が事務的な正確さをもたなければ、生活全体が堪えがたいものになることはよくわかっていて気をつけているつもりでも、何年たってもあなたに云わせることは同じというのは、閉口です。お手紙よんだり、おっしゃることきいたりしてつくづく思うのよ。あなたにしろ、私がやっと一人ですこし永く電車にのれるようになって、三四年ぶりに、友達が、生きかえり祝いによんでくれたことは、やっぱり其はよかったと云って下さることにちがいありません。ところが、用事が大切だのに、徹底させなかったばっかりに、遊ぶに忙しくて、遊ぶ段どりだけはチャンチャンして、とそういう表現は、私の皮膚の上にピシリピシリと音を立てるわ。
 自分があなたであったら、必ず同じように感じるでしょう。扇だって、要がなければ御承知のようなものになってしまうのだから、無理もないことです。即ち、益※[#二の字点、1−2−22]私がしゃんとしないとこうだぞと思い知る次第です。
 健康な(になってゆく)人間の生きかたというものは面白いものね。私が自分の弱さを忘れて、うちのものに云われるように、あなたも私の半人前のことは何となし忘れて、全く一人前分の槌をうちおろして下さいますね。それで丈夫になってゆくのね。病気のお守りをしないで行くわけです。体が十分丈夫でないということと、ケロリとは別のものなのですから、猶々改善いたします。でも、もうハンマーは十分よ。響きがきついから、体がその響きでグサッとなってしまうようです。聖書にあるでしょう、エリコの城は長ラッパを吹き立てて落城させたのよ、城壁が崩れたのだそうです。あなたの力づよいハンマーのうちおろしでユリコの城がくずれないということがあるでしょうか。白旗をかかげます。すこしの間、耳を聾する天来の声を、凡庸な十二月の風の音に代えて下さい。そして、あなたとさし向いにして下さい。あなたの顔を、よくよく眼のなかにはめこませて下さい。そこには私の疲れをやすめ安心を与え、同時に気を確かにさせ、すべてのよい願を恒に清新にするものがあります。

 追伸
 レントゲンのこと、これも終ったかは恐れ入ります。
 今年の冬はどこもスティームなしですから予防会へ行って、今どうもないのに、寒いところで体を出す勇気がありません。冬の間は御容赦願います。それがテキメンと叱られるのは分っているけれども。自分がズボラしたのだからお義理にも今年の冬重い風邪はひけませんからね。

 十二月八日 (封筒なし)

 十二月八日
 四日づけのお手紙ありがとう。このお手紙には、いつかの手紙にかいた古い絵の中の男のひと、机の前にあぐらかいて坐っていて、外にはだしで立っている女のひとに、笑をふくんで、ものを云っている、そのひとの眼や口元にあった微笑が感じられます。いい気持になり、らくになり、その楽さは、日なたとともに、のんだ薬を工合よく体じゅうにしみわたらせ、苦みも、ほろ苦い暖かさとなります。どうもありがとう。いつも良薬に対しては謙遜ですが、こんどは、すこし作用がきつすぎて弱ったから大いに助かります。
 葦平の感想というのは、同感されますね、その感想にあなたが同感をあらわしていらっしゃるということは、心にどっと流れこんで来るものがあります、本当に、いろいろいろいろ見せて上げたいわね。私が自分を、聖物崇拝者にならせまいと用心している工合を見せてあげたいわね、そして、何だ、ユリ、と云って笑いになるところを見たいと思います。散歩からかえったときのようないつもの机のまわりだったなんて、思えばくやしいわ。毛布にささってわたしのところに来る髪の毛を、どんな心持で一本一本ととって眺めるでしょう。葦平の妻が、いつその心を知っているでしょう。たった片方だけになってかえって来たカフスボタンを紫の小さいきれいな草編み袋にしまって何年も何年も持っていて、これから火にでも追われて逃げるときは其がマスコットと、背負袋に入れている、そんな気持も、書けば、あなたの同感なさることでしょう。語られない生活の編みめの間に、なんとたくさんの色糸が、織りこまれていることでしょう、心づくしというものが、つまりは日々の些事の中にしか表現されないというのは全く本当ね。そういうまめやかな日々のつみ重りの間に、何か突発することが生じたときは、弾力がこもっているからすぐ応急に処置も出来るというわけでしょう。些事にこめられている心、些事で知られる心いきというものは身にこたえるものね、私自身其ではひどく感じたことがあって。何年か前、母が生きていたとき、不自由に暮しているところへ足袋を送って来てくれたのはよいけれど、コハゼがすっかりとれていて、直しようのないのに、母の手で歌をかいてくれていてね、そのときどんなに感じたことでしょう、歌はなくても、コハゼを見てよこしてくれたのだったら、と。そのとき愛情というものについて沁々考えたことでした。
「みれどあかぬかも」は、これこそ歌の功徳というべきでしょうね。何とふさわしい表現でしょう、そしてブランカが土台まめなのだろうから[#「ろうから」に傍点]という云いまわしは、何と又含蓄があるでしょう。一言もないわね。昔から大した外交官というものは、こういう実に一寸した云いまわしで、対手を完封したものだそうです、タレーランなんか。わたしは、やっと、小さい声で意地わる! といえるのが精々です。少し赧くなりながら。
 夫婦のむつまじさとなれ合いとは全く別のものですね、でも本当のむつまじさ、謹だところのあるむつまじさで生きる一組というものは実に実に稀有です。そういう人たちは、自分たちが男に生れ、女と生れて、そこにめぐり合ったということを、自分たちの恣意の中に消耗してしまうには余り価うちのあることと心から感じる人たちです。大抵は、夫婦は自分たちが夫婦であるということで、もうそれをはかる目やすのないことのように生きてしまうのね。そして、ふだん着のように、互の癖になれているという工合よさでダラダラ生きてしまうのだし、すこし狡いのは、対手をほめることで、自分へのマイナスをぼやかして、つまり互を下落させてしまう。生活となれ合ったらもう文学なんてどこからもうまれません。だから、わたしは、おっしゃるとおり意久地なしだけれど、良薬が良薬であることはどうにも否定出来ないのよ。ポロリ、ポロリと涙だしながらも、其那薬なんか御免と云いかねて、のむのよ。マアいじらしいみたいなものね。その様子を見て、あなたも思わず口元がほころびるという次第なのでしょう。
『英国史』はいつかよんで見ましょう、あいたらかして下さるかしら。
 きのうはあれから、裏の電車で神保町行きのあるのを思い出し、六法、早い方がいいと思って、初めて神田へ行きました。びっくりしてしまった、本やが変ったのには。東京堂は、ぐるりの本棚ね、あすこへよりつけないように台を並べてしまって台の上には、謂わば先方の売りたいものを並べておくという工合になって居ります。棚が遠いから私の眼では題もよめないの。六法は、ここでも冨山房でも三省堂でも神保町の方の角でももう売切れです。困ったと思います、これからは森長さんが買うとき二部買ってでもおいて貰うのね、ああいう人には専門の本やがあるのでしょうから。買いつけの本やへきいて見ましょう、丸山町のところのもとの本やは、もう出入りしないのよ、会社へ何かへまとめてゆくのですって。人手がないからと云って。もう目白にいた時分から。予約ものを中途半端にしたりしてすこしけしからぬことになりました。そこで、アメリカ発達史の下巻を見つけました。下がいきなりでは仕方がないことね、上を見つけましょう、お送りするのは其からね。
 須田町辺のこみかたは全くひどく蜒々長蛇の列です。もとのように自動車でもいたら人死にですね、すっかりへこたれて、本買いも大したことになったとおどろきました。
 来週は月水金とあがります。今年の迅さは、無常迅速的でした。ほんのいくらか丈夫になりほんのいくらかものを学び、しかもその間にあなたは生き死にの病気をなさり、何と多事でとぶような一年でしたろう。森長さんの電話しました。この手紙しまいをせいてしまっているのよ、いま手伝いが只一人でおかみさん外出、晩のおかずをこしらえなくてはいけないの、では明後日。

 十二月十八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

 十二月十八日
 きょうは静かなおだやかな午後です。島田へお送りするものもすんだし、そちらの宿題も大体さし当りは足りましたし、メタボリンは来たし、久々でゆっくりした気持です。疲れが出ていて、体がすこし持ちにくいからきょうはずっと二階へとじこもりで暮しましょう。
 七日、九日、十六日のお手紙。どれもありがとう。この間うちは本当に御免なさい。私の場合は、善意がないなどということはあり得ないのよ。善意があるのに云々ということになり、ないも同じことではないかというところにお小言も当然という事態があったのでした。しかし、これ迄十年の間に、へまやケロリで、三年に一度は随分猛烈に突風を食って来ているわけですが、今度は私としておのずから学ぶところが少くありませんでした。生活環境との関係で。
 こんどは、大分周囲の混乱にまけたり、まきこまれたりして用事が事務的にキチンキチンと運ばなかったのみならず、心理的にごたついて、毎日不快でおこった気分で暮して、そのためにわるい影響をうけたのだと思います。その点で一つ暮しかたというものについて分ったところがあります。私たちの生活のスケジュールをみだされたのですね。だから、そんなことに関係ないあなたにはすまなかった次第です。
 九月以来、一寸表現しがたい生活です。子供二人は、すて子同然よ。この二十四日から三十一日迄留守になります。寿江子はどうしても二十七日には引越します。
 自分の生活の順序をこういう大ごたごたの中で狂わさずやって行くのには一つの修練がいり、その焦点は、生活の本質のちがいということを明確にすることしかありません。
 何しろ二十一二から別に暮して二十年以上たって、謂わば初めて一緒に暮すことになったのだから、いろいろ分らなかったわ。一緒に暮す以上は、と親身な責任もはじめは重く感じました。しかし、何かいいこと注意しても注意してきくのはそのときだけで、生活の現実に吸収して、つまり、その新しい意見を入れた暮しかたをはじめるというのではなくて、翌日になれば、又夫婦の馴れ合ったぐずぐず方法で、ルーズに、その日暮しをつづける以上、私は、そういう生活に責任を感じて、自分がまきこまれたりするのは間違いだと思うようになりました。Sももって生れたいいところは苦労しなかったからもっていたのだが、生活がフヤフヤでがたつき出すと、もう自分をまとめて行く力もない様です。本当の建て直しはしない流儀なのね。ガタガタでもたせるだけもたすという流儀。借家ね。
 だから、自分は来年はますますきちんとして、ちゃんと自分の日程は守って暮し、気持
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