を卒業したようなものなのでしょう。
 きのうはこちらの防空演習でした。診断書を出して、半病人としての参加でよいということになりました。が、あなたの昔のレインコートを直した上っぱりにもんぺ。靴ばきで鉄かぶとかぶって、それ空襲警報発令というと、庭の壕に入るの。そして、三回目の午後三時すぎには、隣組全部が一本の繩につらまって旗を先に立てて、類焼による仮定で、須藤公園の一寸した空き地へ避難しました。土の中というものは体にこたえますね。よく準備して冷えないよう理想的にいたしましたが、しんしんとした土のしめりと靴底の紙まがいのゴムからしみとおる冷えで、変になって、中途ですっかり着物を直して盲腸のときの腹帯をしました。
 きょうはぐったりとなって、迚も朝のうち伺うという工合に行きませんでした。これで経験にもなったが頼りなさもひとしおよ。避難して来た何百人という顔ぶれを見て、殆ど女、子供です。役に立つ年齢の子供さえいません(学校だから)風向きについて落付いて考えられそうな人さえなくて。うちの組なんかつまりうちのものが主になってしまっている有様です。咲や何かが田舎に行けば、この組について誰が責任負うのでしょう。これを見るにつけ早く丈夫になりとうございます。ちっとやそっとのことにへばらないように。
 林町のうらの方(動坂の通までの、あの細かいごちゃごちゃのところ)菊坂のポンプなんか入れないところ、神明町の車庫裏、団子坂下の方は勿論、火に対してはまことに消極な地域で、つまりこのあたりは、かこまれる危険が多いのです。私はいずれにせよ東京の外へ出て暮そうとは考えませんから、猶更よく準備したいと思います。必要なものはよく埋めて、体につけて逃げるものは最少限にしないと又被服廠と同じことでしょう。あの避難して来た人々を見ると、何と万事受身でしょう。薄弱な身がためでしょう、一雨で、しんまでずっぷりの姿よ。雨降への用心、これも大切だと沁々思いました。私は長いレインコートなんかないから、合羽のたためるのを一つ是非買いましょう。
 大したことだと痛感いたしました。鉄カブトの少しましなのがあるだけ大したことなのだわ、この調子だと。太郎が役に立つから面白いでしょう。学校からは二分ぐらいで帰ります、中学の二年位まで警戒警報でかえすのよ。
 すこし物を焼くまいとしたりするのも、初めは成たけうちのものと一緒にと考えて居りましたが、ここの連中は一寸風変りで、何だかちっとも切実でないの、又買えると思っているのか、それとも、自分が何一つ謂わば骨折って買って便利して暮しているというものがない為か、にげてゆく先に一応はととのっているというからか、何もしないのよ。すこし運ぶと、もう一杯だ一杯だと云うの。だから、私は全く別箇に、親切な友人たちの助力で、どうしてもいるものは、ともかく比較の上で安全の多いところへ移すことにして、疲れない程々にやって居ります、あなたの冬着を心配してそれ丈はどうやら一番がけにうつしましたが。私にしろやはりふとんもきものもなくては、ね。金がないのなら、日常のものは大事ですから。私は、自分たちは一単位として、最少限の生活は又やれるようにと考えて居ります。
 バルザックのこと。あなたもなかなか痛烈ですね、そんなに考えてもリディキュラスという風に描き出されて、私は何と御挨拶出来ましょう、そんな愚劣さが(読者として)即ちブランカの態度だよ、という程でもないのでしょう? 私は、そうだと思いかねるわ。御憫察下さい。
「あら皮」はおよみになったのね。作者の研究のために大切な一作でしょうが、作としてはつまりませんね。時代的な心理(あの人の時代の)の問題を、哲学と混同したり、人物は何だか人為的で。文章も初めのゴーチェ張りは閉口です、「幻滅」はあれとはずっとましです。一人の作家が、「時代の心理[#「心理」に傍点]で動く」限界ということも文学発展史上の一つのテーマではないのでしょうか、ドストイェフスキー、バルザック、特にバルザックなんか最大の限界まで行っているのではないでしょうか、リアリストとロマンティシズムの奇々怪々な混乱においても。後代の、ことに、最近十年間の新しい文学の作家たちは、心理だけにモティーヴをおいて自身の生活を導いていないし、同様に自分たちの文学のモティーヴともしていません。それ故の、その大きい発展の故の苦悩、寡作というものがあるのです。新旧の文学の本質的なちがいは、こんなところにもあるのね。新しい作家たちと云えども、余り明確にこの線を自身の文学に引き得ないようなところがあって、いろんなところへずり込んだのね。これは、今かいているうちに自分にもはっきりして来たことですが、なかなか内容がある問題ですね。
 新しい文学は、全く、心理描写だけで満足しないわ、ね。心理から入って、そのような心理あらしめているものを描破しようと欲しているのですから。もし高見順がその意味で、描写のうしろにねていられなかったのなら、相当なものであったわけですが。心理的[#「心理的」に傍点]に生きることを自分に許したら、あらゆる無駄なのたうちと浪費(人間性の)を許すことと同じです。きょうは健之助の満一年の祝です、わたしは茶色の熊をやりました。お祝の主人公は天真爛漫に水洟をたらしてワイワイ泣いているわ。では又ね。

 十一月二十八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

 十一月二十八日
 二十五日づけのお手紙ありがとう。前の宅下げのものはもうみんなもちかえりました。本はよほど前、シーツは近くに。ハラマキのことはお話したようなわけ。シャツは買いにゆけなくてまだです。『週報』へお金送ること計らいました。森長さんの電話もすみ。十一月十日以降のをお送りする仕事は明日。そのとき一緒にやっとついた石井鶴三の宮本武蔵の插画集おめにかけましょう、何となし眼の休みになりますから。絵は休まることね、読むことの多いものには。
 さて、きのうの午前八時からけさ八時迄の訓練は、珍しく国もすっかり身拵えをして気を揃えました。太郎や赤坊がいるからさわぎよ。二十四日にやってみて壕が余り冷えるので、きのうは、目白でベッドに使っていた板を提供して底にしきました。大変ちがうと皆大よろこびです。
 よろこぶけれど、はじめ思いついたり、物を工面したり、さがしたり運んだりということはしないのね、決して。そういうゆきかたにタイプを感じます。
 きょうは朝四時十五分前に起き、みんなを起し、おじやをこしらえてやりました。食べてから、何か事が起りそうで、仕度して気をはっていたのに結局八時迄この組は何もなく、私は折角外に出ているのだから、落葉はきをいたしました。そしたら、風呂場の紙屑の下からミラノの街の写真だの、どこかの宮殿の写真だのが出て来て珍しく眺めました。ミラノの、今度空襲をうけた大ドーモの写真。美しく壮大なゴシックの寺院などです。但、通行人の服装は一九〇八年頃なのよ。古風で、何てつみがない風でしょう。宮殿の方のは、壁という壁に、ひどい壁画がいっぱいで、その絵の中に人間がウヨウヨしているの。そこの前でほんものの人間はどんな神経でいたのでしょう。自分たち活きた人間の無言のこだまのように壁上の人間どもを見たり感じたりしたのかもしれないけれども、あのうるさい無趣味さに平気になるだけでも、そこの住人はよほど魯鈍ならざるを得なかったと感じさせます。こういう様式を宮殿として見て来ているブルノー・タウトなんかが、日本へ来て桂離宮などをよい趣味とこころだけが語られている――その前には何でももって来られる空間――として驚異するのは当然であると思いました。タウトは多くの「日本の知己」に洩れず、古典のうちに丈日本があると云っていて、今日を真面目に生きている日本人を苦笑せしめます。
 演習の終ったのが八時すぎ。それから又床に入りおひる迄。疲れて風邪のようにズクズクです。しかし、やはりやってみるもので、靴のしゃんとしたのがない不便さや、その反対に、お古レインコートの上っぱりが至極実際的なことや、いろいろ学びます。
 環境がいろいろと変るなかで――環境そのものが、理想的だというようなことはあり得ないのですから――私がいつも自分の線を失わないようにと心づけて下さることは、ありがたいと思います。モロアの本について云っていらっしゃる最後の一行は、深い意味をもって居ります。全く人の一生と一巻の本とは最後に到って真価の歴然とするものです。
 しかし、何と多くのものが、一生の半ばで、自分の一生というものをとり落してしまうでしょう。持ちつづける手の力を失ってしまうでしょう。作家で云えば、其は、仕事が蓄積された感じをもった瞬間から始るのだと思います、事実は反対です。本当の作家なら、一つの作品はもう明日の自分を支える力ではないこと、それが書かれてしまったということで、もう自分の今日の足の下にはないことを痛切に感じているわけなのですが。旅にやんで夢は枯野をかけめぐる、という句を卑俗には、超人情のように云うが、本当は、芸術というものが常に限界を突破しつつあるもの[#「しつつあるもの」に傍点]だということの感性的な表現――そこに芭蕉の時代の武士出身者としてのニュアンスが濃くある表現――ではないでしょうか。芸術家として、芭蕉は勇気がありました。あの時代に、夢は枯野をかけめぐる、と表現されたものが、時をへだてては、わたしが今、この紙の横においてよみつつ書いている、そのような忠告やはげましとなっていることの意味ふかさ。後者を、芸術のそとのことのように思う、非芸術さ、或は職業によって固定された感受性の鈍磨。
 もしや、もしや、私たちの貧乏は分りつつ、ユリ、とお考えになると、何だか福相がかって感じられる、という笑止な滑稽或は習慣があるのではないかしら。どうかして、私は、自分の福相が、そういう由来ではなくて、もうすこしは広い、そして形而上の理由によって、明るく、笑いと確信とを失わないものであるということを、くりかえしなく、明瞭にしたいものです。私のぐるりについてジリとなさると、いつもそれが私に向って出るというのは何だか、しょげるわ。これは真面目よ。その危険のある環境についての、いつも新しい戒心という意味では勿論十分傾聴いたしますけれど。社会事情の急な変化は多くの人々を、金銭について淡泊にするよりも、敏感にさせます。フランス人が、あの度々の政変を経て、金銭に対して敏捷になって来ている伝統は、先日緑郎からの手紙にもうかがわれます、戦時の闇生活がはじまってフランス人の富の奥ゆきの深さが分った由。バルザックをよんでいるから、実に合点出来ました。こちらでも、そういう経験の初年級がはじまっているわけでしょう、私たちの考えかたは、暮しかたは、逆です。フランスでは市民の90[#「90」に「ママ」の注記][#「90」は縦中横]割が、いつも金利を考えていて、年金を失わせさえしない政府なら我慢してやる、という風だか[#「か」に「ママ」の注記]、フランスが経験の多様さにかかわらず、足ぶみをして、観念の上でだけ多く奔放であったのでしょう。バルザックの金銭世界について、一般に十九世紀からの近代経済が云われるけれども、フランスという個性も亦加っているわけね。城《シャトー》に住んでいたバルビュス。でもつまるところ私はよろこんでいいのであると思います。躾というものは、まだ育つものにしか誰もしようとしないものですものね。わたしの旦那さまは、きっと随分上手な躾けてというわけでしょう。そして、大きないい音を立ててスパンクを与えるべき箇所と場合をよく御承知というわけでしょう。
 風邪をお大切に、きのう防空待機の間にあなたの手袋を修繕し、それは全く愛国的手袋となりました。資材欠乏に全く従順という意味において。

 十二月五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

 十二月五日
 二日づけのお手紙ありがとう。このところ連日爆撃という形ですね。あなたの丸薬は、笑ったように、正真正銘まがいなしの良薬にちがいありません、糖衣もな
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