です。悪いことには、昨今出版整備で、文筆の範囲は全く縮少してしまっていますから、「くれない」のときのように仕事をすればそれだけは物を云うという時代でなくなっていることです。
「くれない」のときは作者に信望とでもいうものが在りました。現在それはなくなりました。それらのことを悧口な人だからすっかり知っているでしょう。そして、同じ悧口さで、親しい友人に対して自分のとって来た態度もわかっているでしょう。本当に生活がこわれ崩れたというだけの下らなさと自分から認めて、友達にも心持うちあけず、いるところも知らさないというその賢こさは、世俗的な賢こさで、そこに到るまで友人たちに一言も自分たちの暮しかたについて口をきかせず突ぱって来た、その勝気さの裏側で、私たちとして何と心が痛むでしょう。特に私は十三年の下らない事件のときは御主人から全く非友人的な扱われかたをしました。その人柄の底を見せられました。あのとき細君は目白の家の二階で、何と慟哭したでしょう。そして、身をしぼるような声で「わたしは不幸になりたくない。正しいことからでも不幸にはなりたくない」と泣きながら云いました。私には、その慟哭が、今は自分がなぐさめてやれないところできこえているようです。更に更に苦く、更につめたく涙は流れるでしょう。不幸になりたくない故に、全力をつくし迎合し、自分の生涯を歪めたあげく、迚もやってゆけないことになったとして、どうでしょう。
 この間の随筆集の中に十三年に書かれたもので、単純も複雑もくそくらえという気になっている。自分はこれまでひとに可愛がられて来た、それが侮蔑として思いかえされる、というようなところがあったでしょう? 短いがおそろしい文章であると思ってよみました。
 三十日(十月)に栄さんのところへ一寸より、原稿紙とインクかりて行った由。わけも一言「くれない」のつづきと話して。しかし「くれない」のつづきではないのです、質がちがう。馬鹿なこと(男の側)にしろ、あのときは一つ通ったものがあり、女の側に真摯な向上の欲望がありました。今は女のひとの中にもひどいすさみがあり、それを癒し立て直るのは実に大事業です。
 主人は大あわてで(そうでしょう、あのひとをおとりに金を借りたおして、月小遣だけ五百円いると会う人毎にふいていたのだから)下らない出入のひとに喋りちらしているのに、卯女の父さんや私には、栄さんはもとより一言の相談もしないのよ。力をかりようとしない。そういうのです。
 酸鼻という感じがいたします。中学三年になろうとしている男の子、六年の女の子、九州から来ている十九かの娘(はじめの結婚の)その人たちはどんな気がして暮しているでしょう。おばあちゃんは春亡くなっていますし、昔からしたしかった人は一人も出入りしなくなっているし。
 何とかして、あるところでとりとめて、立ち直ってくれることを心から願って居ります。私にとって内面的に最も結ばれて暮したことのあるひとですから、おそらく一番ひどくこたえているのではないでしょうか。時間の上での古さでは卯女の父さんたちでしょうが。
 人間の生涯の曲折というものはおそろしいと思います、親しい友達に、一言も口を利かせないという気の張り、賢こさのおそろしさを感じます、そして人生はつまり実に正直であると思います。世俗的につくろおうとしても、いざというときは、却ってその世俗の面からくずれて来て。
 あなたもわたしのこの尽きない感慨をともにして下さるでしょう。立ち直るようにという願いをともにして下さいましょう。一層一層生活の大切なということを感じます。自分の一生であるが、人間としての一生という意味では、謂わば自分だけのものでない責任があります。自分の努力によって充たされてゆかねばならない人間の一生という刻々に内容をたかめている課題があるわけです。私たち芸術家はその最も人間らしく誇ある課題を充足させるために身をすてている筈です。
 全く気ままに生き弱く生き、時代のめぐり合わせ自分の気質に翻弄されてしまうというのは何と悲しいでしょう。それは生きるという名にさえふさわしくありません。
 何とも手の下しようがない次第ですから、自分を落付け、衷心からのよい願いをかけつつ、自分の生活をいよいよ慎重にいつくしみ責任をもってやって行くしかありません。
 きょうは、大分自分に戻りましたから、どうぞ御安心下さい。
 字引(松田衛)は今どこにもありません。古本をさがして見るのですが、在るかどうかのぞみうすです。絶版とのことです、東京、三省、郁文などききましたが。うちにわるい英露があります、お送りしましょうか。十年ばかり前、ナウカであちらのから翻刻した英露があって、それはよかったのですが、買いそこねました、残念ですね。心がけておきますからお待ち下さい。
『時局情報』はもうすこし待たねばなりません、こんどの整備でこれは四割減、『文芸』八割五分減、『婦人公論』七割減となりました。そのために、予約を全廃してしまいました。出たら早いものがちで買わなくてはならないわけです。何とか買えそうです。しかしこれがほしさに、その本やでエホンも買うという工合よ。
 帝大から四千人の学生が出征しました。大講堂の入口に佇んでその行進を見送る総長の髪の白い、背のまるい、国民服の姿が新聞に出ました。
 うちの書生さんはもう二三日でかえります。私は、この人から迷惑も蒙ったが、ひっくりかえったときは幾晩も徹夜で働いてくれその後も氷買いだけだって大した骨折りをさせましたから餞別を三十円やります。
 バルザックの小説のことゆっくり書こうと思います。こんどはいろいろわかり彼の大作家であるわけもよくわかります。一番私が有益に、興ふかく思うところは、バルザックが、人間関係というものに示している執拗な描写です。もとは、その点の価値が分らなかったから、彼の描く性格の単調なところ、殆どモノトナスなところ、がひどくいやでしたが。関係をかく彼の作家的力量は巨大です。
 昔、彼が現実を描くと云って妙にもち上げられた時(西鶴、バルザックという風に)、もち上げた人たちは、真に彼の大作家たる強さ、実に大きい強さは決して理解しなかったし学ぼうともしなかったようです。何故ならもし其がわかれば、当時自分たちが、何故バルザックに戻ってそれをかつぐかという心理関係がまざまざと自分に見えたわけですから。そして、ああいう風にはもち上げなかったでしょう。
 人間の性格というものはそうそう新奇になりません。刻々に変り広大となるのはその関係です、現実的利害による関係です。小説は、将来、それを十分こなし得る作家を求めているのではないでしょうか。
 散文というものは、タンサン水のように、その中に生活の炭酸性の泡をどっさりふくんだ強壮なものであるべきです。ヨーロッパ(フランス、イギリス、ドイツ)の散文は、十九世紀に其がもっていた剛健さを失って来ています。ブロックのつみ重りではなくて、曲線的になってしまっています。それは新しい生命力をとり戻さねばならず、其には人間の関係についての強壮さを(理解の)もたねばなりません。バルザック以後の、ね。
 だから、アメリカの散文がこの国の若さを自然に反映して、ある瑞々しさをもっているのは面白く思えます。
 しかしこの強壮さは、謂わば若いから丈夫だという人間の生理的な状況のようなもので、それだけではたよりのないものです、どんなにふけるか分らないのですものね。
 日本の文学的伝統における散文の力とはどういうものでしょう、この見地から見直すと、漱石の散文は秋声よりも弱いと思います。寛の散文は初期だけ。芥川のもよせ木です、もろい。小さい、器用です。志賀のは、よく洗ったしき瓦でたたんだような散文ですね、建造物的巨大さはありません。「誰がために鐘はなる」などは、肉体的ぬくみと柔軟さとスポーティな確乎さをもっていて新しい一つのタイプでした。そうお思いになるでしょう?
 私は今の自分として、もっているプランに添ってもバルザックが分って来たことをうれしく思って居ります。自分の散文を全く散文の力を十分発揮し得るものと鍛えたいと思います、私が詩人[#「詩人」に傍点]でないことに祝福あれ。
 では又ね。

 十一月二十一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

 十一月二十一日
 きょうはこんな紙をつかいます。
 暖かかったことね、秋の末の飽和したような黄色と紅が二階からきれいに見えます。寿江子へハガキをありがとう。いずれ御返事出しますでしょうが、私からも一寸。『風と共に散りぬ』はひところどこの本やにも胸が一杯になるほど氾濫して居りましたのに、この頃はもう全く影をひそめて居ます、この間うち本やさんにもたのんで居りましたが、望うすしの方です。田舎へ行く人にたのんで心がけましょう、本まで田舎とは。プルータークの雄弁家の巻も同じめぐり合わせです。アメリカ発達史はどこだったかの本やで見たような気がします、新書ね、これが一番早くものになるかもしれません、面白そうな本です。英国史はモロアはうるさいかきかたをしているようですが、そうではなくて? フランス人らしく、あんまり個々の人物のせんさくずくめみたいで。
 この間うちよんでいたツワイクの「三人の巨匠」の中で、文学精神の伝統ということを云っている中に、ドイツとフランス、イギリスを比較して居ります。ドイツのは、「ウィルヘルム・マイスター」以来(あれを近代小説の始源と見ると見えます)発展小説の形をもっていて、これは人間が、自分の内部相剋を統一の方向に向けて行って遂には社会に有用な人物となることを辿ってゆく文学。(そういうと、ドイツ・ロマンティシズムの傾向もわかるようです。社会に有用[#「社会に有用」に傍点]になる、ゲーテ式自己完成への反撥として、ね。その俗気への対立として)イギリス文学は、社会で実際人々を支配しているイギリス流の道徳の説明書みたいなもの、(ツワイクは、この点なかなか穿って居ります。ゴールスワージー迄謂わばそうです。だから大戦後はロレンスやジェームス・ジョイスが出たのね)フランス文学は、社会と箇人との勝負を常に主題としている、バルザックにおける如く、と云って居ります。今、なかなか丹念に「幻滅」をよみ終りかけて居りますが、バルザックは、或るスペイン坊主の口をかりて、「フランスには、一貫した論理というものが政府にもなけりゃ個々の人間にもなかった。だから道徳というものがなくなっている。今日では成功ということが、何にもあれすべての行為の最高の理由となっている。外面を美しくせよ。生活の裏面をかくして、一ヵ所非常に華々しいところを出してみせよ」という風なことを云わせています、フランス人の暮しかたの或面がわかり、日本の画家藤田嗣治の一ヵ所押し出したやりかたもうなずけます。でもバルザックもツワイクもそれからもう一歩入って、何故そんな精神の伝統が出来たかという、真の解明は出来なかったのね、いろいろな国の文学史の面白さは発達史ととものもので、そんな点から、やはり世界の歴史にはつきない興味があります。
 文学精神の伝統ということ、それなども明治文学の文献的研究では語りつくされません。明治文学史の専門の勉強をしている人にきいたら、そういうまとまった仕事は、まだ一つもない由です。日本文学史はあるのね、でも日本文学の精神史はありません。文学評論史は久松潜一かのが二冊ありますがそれは、文学論の歴史的(そうじゃない)年代記的集積配列で、もののあはれ、わび、さびと、王朝から徳川時代へ移ったあとを辿っていて、しかし、文学精神としての追求はありません。幾人ものひとが一生かかるだけの仕事が、何と未開拓のまま放置されているでしょう。近代及現代文学は勉強家をもたなすぎますね、里見※[#「※」は「弓+享」、第3水準1−84−22]のように、小説は勉強で書くものではない、という作者気質がどんなにつよかったかがわかります。文芸史家なんて謂わば一人も居りません。将来の日本文学は克服すべき貧寒さの一つとして、そんな面
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