記させる作家だと思います。
トルストイの方がわかりやすいということもよくわかりますね。バルザック、スタンダールというような作家はナポレオン時代以後が新たな形で経験される時、文学の世界で大いに学ばしめるところをもつ作家ですね。ドイツ文化史において宗教改革以後の時代、フランス文化においてブリューメル以後は近代を理解する上の重大な鍵でしょう。
この間も書いたように普通の文化史はルネッサンスの起首をよく描くけれども、その後につづく反動の時代の意義について十分知らせないのは何故でしょう。歴史のつかみ方の形式的なせいね。すべて一つの大きい必然の動きが、その動きそのものの裡にリアクションをふくんでいるということ、それをどう力学として処理し得たかということは興味つきぬところであり、人生のキイ・ノートのようです。
わたしなどには、まだまだ迚も端倪すべからず、のテーマですが。何故なら形式的な論理に立つ歴史の描写は、いつも等しい価値や力のように反動の発生を描いて居りますから。反動そのものが、又統一された方向への刺衝となる力をふくんでいるその生きた関係はなかなか描かないから。たとえば旧教に対する新教というものの関係は、謂わば或る力学の基礎方程式の運算を学ばせるものとしてもっと近く学ぶべきですね。いろいろの旧教と新教と。
わたしはそういう人生の力学が段々面白くて。そういう物理をはっきり把握して、しかもバルザックが自分が捉えてふりまわしたと思った対象に実はふりまわされた、あの熱情を、よく整理することが出来たら、それこそ新しい作家のタイプでしょう。七八年前、「バルザックから何を学ぶか」というものをかいて、バルザックの自己撞着と矛盾、混乱を明らかにしようとしたことがありました。それでもその当時ナポレオン時代後というフランスが、いかに独特な腐敗時期であったかを今よりもっと貧弱にしか知っていなかったから、謂わば卑小な時代に泥まみれとなった雄大な野望的精神のあらわれとしてのバルザックは描けませんでした。スタンダールは「赤と黒」の主人公に於て、卑小な時代に反覆される野心の落ちゆく先はどこかということを描き出しているのでしょう? 何かが今私の内に発酵しかけているらしくて、一寸した風も精神の葉裏をひるがえすというようなところがあります。これは、生活が落付かないのではなくて、何か精神が敏感に耳ざとくなっているということですし、ヒントを感じやすくなっているという状態。
こういう落付かなさというか貪慾の状態というか、面白いのよ。この数年間こんな段々胸元に何かがせき上げて来るような気分を感じている暇なく、それだけ休む暇もなく次々にと仕事していて、こういう風に、本当に新しい諧音で自身のテーマが鳴り出そうとする前の魅力ある精神過敏の状態は、いい心持です。今の気持でおしはかると、私は断片的な感想などから書きはじめず、全く自身の文学の系列をうけつぐ小説をかきはじめるらしい模様です。
本当に腰が据れば、それが(小説をかき出すのが)おのずから本当だと思われます。そして、これは決してブランカとして悪い徴候ではないわ、ね。評論的資質をすっかり小説に自在にうちこめたら、どんなに胸もすくばかりでしょう。
十月四日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕
十月四日
きょうは、やっと晴れて、風も大してなく、あなたの袷も干して気持よくして明日もってゆけることになりました。きょうの空は青々して眩しくて一点の雲もなくて、秋らしくなりましたこと。これから少しは秋らしく爽やかになるでしょうか。
風邪はいかが? 私の方はのろのろですが、きょうあたりは大分ましで、耳も鳴らず、洟が出る位で楽になりました。あんなに暑かったり寒かったりだったのですものね。
さて、本をまとめて、しまつすることも終り、これで今月は呼吸がつづくから、これであなたの夜具のことをちゃんとしまい、お義理の訪問をすこしずつすまして、やれ、と仕事に落付けるわけになりました。古本の公価がきまって、面白いのよ。来てくれた人は目白の先生の紹介で律気な人だもんだから、一冊一冊大体発行年代と定価見くらべて虎の巻を出して字引のようにして買い値をきめてゆきます。つい去年の秋ごろは、一円五六十銭の小説は大体半分で一束にかっさらって行ったのとは大ちがいで、思ったよりまとまり(二百冊ぐらい)そちらにも、すこしお送りいたしておきます。ちびちびと、点滴石を穿つ式にしておかないとね。三ヵ月毎に銀行に払うものがあるから。今月は其で。
お義理の訪問というのは、私が病気になったとき、大瀧の伯父(父の妹の良人)やその他わざわざ来てくれた人のこと、うちの連中子供らしい人で、今まではっきり話に出なかったのよ。きいてみれば、夢中の間に心配して来てくれているのだから、少ししっかりして来たらやはりお礼に行かなくてはすまないというわけなの。この伯父はもう七十でしょう、昔ベルリンで父とこの義弟とが一九〇四年代のハイカラー姿をうつした写真などもあり。一番可愛がられた伯父です。妻君運がわるくて、一番はじめのお鷹《よう》さん(父の妹)は、ヴァイオリンをやったりして一番風情のこまやかな人でしたが、二人の子をおいて死に、二度目のお菊さんは六人ほど子をおいて死に、三人目のひとは、名も覚えて居りませんが亡くなり、今四人目の妻君です。そういう工合で、総領息子とほかの子と折合いがよくない上、細君が段々下落して来て(心や頭が)何ともそこをちゃんとやれなくて、なかなかなのよ。伯父さんも家庭の内では私たちに諒解のつかないやりかたもするらしいし同時に傍でわからない寂しさもあるのでしょう。四人目の細君には会ったこともないのよ、今度行けば初対面なの。お茶の水出の人ですって。案外、マアと云われたりするのかも知れないわね。
そんなこんなで、ブランカこのところ一寸「雑事に追われ」の形です。しかし大体の傾向は大変よくてね。この間うちの精神緊張と何とも云えない震動は、案の定何となし新しいところへ私を追い出しました。うまく云い表わしにくいのだけれども、私の中で芸術家がモラリストを超克したとでもいうのかしら。或る夜私の心持がさあっと開けて、ほんとにそのときは勝った勝ったと光と音楽が溢れるように感じられました。
これにはすこし説明がいるわね。
由来、芸術家は、本ものなら、本源的にモラリストです。特に新しいタイプの作家はそうです。内面につよい人間生活に対するモラリスティックな衝動をもっていて、決して只の文学感興というものがきりはなして存在しません。ところが、様々な歴史の環境の中では、そういう本源的なモラルを求める気持が、その求めるままの形で生活されていず、従って、そのままの形で芸術化されなくなっている場合があります。人間及び作家として、これは試練の時期であって、多くの人々はその時期に自身の砦をあけわたし、モラルをすて、今の時勢には云々とその位だの金だの肩書きだのにかくれて、芸術をすてます。身すぎ世すぎをしてしまうのね。ところが、そうは出来なく生れついている一群の作家というものがいつの時代にもあるものです。昔の柳浪が一例ですが。この人なんかは明治三十七八年以後の時代に、自然主義の風潮に一致出来なかったというばかりでない理由から作家として自身のモラルに立てこもって、謂わば立ちながら往生した、天晴れなところのある人でした。今日の作家は、もっとダイナミックに考えるから、柳浪を必ずしもその形で学ぼうとはしません。そうでないのならどういう風に自身を導くか、芸術の方向で、ね。
この宿題はあなたがお気がついているとおり、もう何年間か私の宿題で、「朝の風」からあとずっとついて廻って居ります。「朝の風」は、そのモラルの中でああまで瘠せたことについて軽蔑するよりも注目すべき作品でした。全く危機を告げている作品です。
あすこからどちらへ流れ出すかということは私の生涯を決定するのだけれども、私はモラリストとしての自分が、丁度自分の音質や声量にかなった芸術的発声法をつかめなくて日夜喉をためしてその音をきいているような工合でした。ところがね、私が逆説的な福祉と云う状況になって、全く私は落付けてしまったのよ。ジャーナリズムとばつを合せる気をさらりと捨てたら、自分の声がききわけられて来たという工合です。そして、それは、うれしいうれしい工合なの。自分のモラル、人間のモラルの高さまっすぐさ美しさはいよいよ深くかたく信じつつ、謂わば、その規準があってはじめて大丈夫という工合で、生活の姿を全体としてつかんで、例えば、人間の生活の下落も、その下落の明瞭な把握において高さを描き出し得るし、自分はそういう一彫刻的作品を描いてよいと自分に許せる気になった次第です。それだけ確信が出来たのね。何年もかかり、生きかえし死にかかりしているうちに。バルザックのこと、この間一寸話していたでしょう? そして今思うのよ、バルザックなどは或意味で、今なかなかよめるのだ、と。はっとして、勝った勝ったと自分のうちに音楽をきいたのは、ツワイクの「三人の巨匠」ををよみかけているときです。私は自分の芸術家が、モラリストをしっかり自分のなかにのみこんだと感じたの。それが今までのようにわたしの横に出しゃばっていて、うるさく其でいいの? 大丈夫? と啄を入れなくてもよいと安心してじっと私の感受性と瞳の中にしっかりはまりこんだことを感じたのです。
これは人を愛していたことを、はっと心付いた瞬間の心持と何と似ているでしょう。いつかしら日夜の間に心にためられていて、しかしその間には心付かず、或る瞬間俄に天と地とが初めてわかれたときのような新しい駭きで其を発見し、発見したときはもうすっかり其にとらえられている自分を見出す、その工合が。そしてブランカは経験によってこう判断するのよ。こんなに自然に、ひかれつつ抵抗するというような感じ全くなしに、ひきよせられ捉えられている自分をじかに発見した以上は、もうまがいもなしの本ものだ、と。そこを行くしかない、と。そこを行くということを、作品的に云うと、「伸子」以後をかくということです。断片としてあちこちの角度から試みられてはいましたが。
永年かきたくて、何だか足の裏にしっかりした地盤が感じられなくてかけなかった伸子の父の最後の前後を一区切りとして先ずかきます。それから、「おもかげ」の部分のかかれていない面、伸子、母、弟、時代と三つのものを、全体のかかわり合いの中でかきます。
それから書きたいテーマがいくつかあるのよ。凄い景気でしょう。ブランカが、紺絣の筒袖着て、兵児帯しめて、メリケンコのグチャグチャしたの(名もつけ難し)をたべて、財布に五十二銭もって、そして斯くも光彩陸離なのを、どうぞどうぞ扇をあげて下さい。こうやって、私は生きている、からには、私の作品をかくのは至当です。一杯の力のこもった倍音の美しい彫刻的な作品をかくのが私だとすれば、それ以外に何をかくべきでしょう。
いつぞや小説を集にのせるのせないで、私は、重吉の千石舟ですから沈みませんと力んで、すこしあなたに笑われてしまったけれど笑われてよかったのね。あすこで笑われて、ホイ、と思って、それから又ごねごねこねまわしているうちに、私の俗気を日本がふっとばしてくれたというわけでしょうか。つくづく思うけれども、私もかなりの弱虫ね。毎月毎月かかなければならないものがあり、それは其として通ってゆきマイナスばかりでないと、何か心の底に蠢きを感じつつ、やはり、かたい地盤にさわる迄身を沈められないのですもの。そして、モラリストは私の作家をくってゆくのよ。そういう場合だって、作家の生涯から見れば一つの敗北であり、悲劇であり、境遇が人を押し流す力をつよく感じさせるに止まるものです(文学史的に見て、よ)
こんないろいろの点から見て、この間うちの読書は、一生のうちでやはり特別な意味をもって回想されると思います。「マリー・アントワネット」だとか「フーシェ」だとか一見濫読めいていて、それでもずっと一本何
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