ニーニよかえれとプラカートが張られたというのも感銘深いことです。現代コンダクターの王と云われるトスカニーニは、アメリカでこの報道を何とよんだことでしたろう。
余りあなたに適切でもない興味だといけないからやめにいたしましょうね。でも、あなたのブランカは御承知のとおりの欲ばりですから、こんなことを知ると、日本の封建貴族たちと能の発展を考え合わせやっぱり面白く思うのよ。野上豊一郎はギリシアの古典劇と能の構成の類似をあげて文博にもなりヨーロッパへもゆきました。しかし能は、一筋の道を辿りつづけて、ギリシアの古典祭のパントマイムのように、そこから舞踊や芝居、オペラを分岐発生させはしませんでした。テーマはやったがテクニックとしては。そこにも何か面白いことが見出されそうね。そして白状すると、わたしは自分ですこし覚えたいことは女学生時代から一遍自分で書いてみると、すっかり頭に入る癖だから、一寸あなたに我慢して頂いたのよ。しかし更に一つ我田引水をすれば、私たちの常識は広くて邪魔なことは決してなく、昨今の作家たちの広地域での活動ぶりを見ると、寧ろ常識の弱困になやむようです。多くの人は、その国の人々のもちものを、より科学的に説明してやるにつれて日本の独特性をも納得させてゆく、というような方法には全くかけているのね。肥った人という感じをくっきりさせるには、傍に瘠せた人を示すのが上分別という文化上の方法。最も自然な方法さえ手に入れていません。啓蒙される側では自分に馴染ふかいよりどころがなく来るからのみこめず感受が自然にゆきますまい。そういうことについても感じるところが多くあります。導きては導かれるものよりも常に勤勉であるべきです。
――○――
安積から寿江、ひき上げて来ました。二十何日かいたのですが、身が小堅く肉づいて元気そうになりましたけれど、本気で二時間勉強すると夜眠れない由です。病人はやはり病人を中心とする生活を組立てないと無理なのね。病人同士かたまるというのでなく、丈夫な人間が引添って病人を中心に段々健康環に近づけてゆくという仕事を中心にした生活が必要なのでしょうが、うちでは、迚も不可能です。泰子が衰弱をとり戻せずこの数日来葡萄糖を注射していますが、食慾なく、母の目には益※[#二の字点、1−2−22]やつれを加えているらしいから。
泰子は全く苦心のかたまりです。一家の大きい犠牲に立っています。泰子は無心だし、母の愛情は情熱的ですが、人の体の力は限りがあるから、母親も五年来の負担まけで、内面の疲労――精神生活の放棄――は著しく、それだけが理由でなかなか本質的には大した落しものをしつつころがって行く日常です。幸、咲枝はああいう気質だから、よほどましですが。尖らず、鈍る形で現れるのですが。こういう子をもつ親は誇張でなく試練的ね。特に母が、ね。同情をいたします。しかし私は、やはりこういう子供が母をくい、兄弟の生活から奪い、一家から奪うものの大さと深さとを感じ、可哀そうで又恐しさを切実に感じます。しかしこの怖しさを母は見ないようです。不具の子はいじらしいが、対策もあり、生活の目標も立てられます。泰子は真空ですからね。吸収してしまうだけ。辛労も愛も。
現在三千軒ある出版業が、略《ほぼ》二百軒に整備される由です。文学、科学の各分科をみんな其々にふりわけて、専門出版店となるらしい話でもあります。文学書は『新潮』などのこるでしょう。『新潮』の出版部。
関係あるところではそろそろ大童らしい風です。出版外交史というような小冊子も資料は十分ということになるでしょう。出版年表などという単純なものでもないでしょう。
私の燐の注射はもうすこしで十本終りますが、二十本を一クルスとする由。そして何ヵ月か休んで又いたします。静脈は、やはり気重いのよ。小児科の林先生は上手だし、神経質でないし、音楽がすきだったりしていい人ですが。静脈が細くて工合わるいのは、私の弱点で、いたしかたもない次第。
風邪をおひきにならないように、どうぞね。
九月二十六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕
九月二十五日
きょうは七十度よ。涼しくて体が楽なので、二階の部屋の大掃除をして働きました。ごみになった顔を洗ったところへお医者が見え、静脈を出したら、働いたばっかりだったのでふくれて見やすくて、痛くなく助かりました。
九月二十三日は、やがて『週報』で御覧になりましょうが、日本の国民が初めて経験するような生活の大切りかえの方針が公表され、昭和文化史の上に一つの記念すべき日となりました。学校は理工系統をのこして、法文科は殆ど廃止、廃校になります。音楽美術文科は伝統を今日までで一応うち切りとするわけです。
音楽学校の卒業式がこの三日間つづけてあり、それが東京の上野の音楽学校最後の卒業式となります。女子の方の学校はどうなのか、やはり文化系統はなくなるのかよくわかりませんが。夜間の学校も商業などはなくなります。学生の兵役猶予はなくなり理工が八ヵ月のばされます。十七種の職業に四十歳以下の男子がつくことを禁ぜられ、それは事務員から料理人理髪までに及びます。都役所だけで一万何千人とかの人が重要産業に向くのだそうです。
こまかいことは書ききれませんが、画期的な一歩であり、感銘も浅くなく日常生活も多く変化いたしましょう。うちでは直接関係のものが少いけれども、文学者を考えても阿部知二のように東北の講師をしたりしている人たちは、どうして暮すでしょう。純粋に語学の教師なら、理工科だってドイツ語フランス語英語は入用でしょうが、作家を半ばの魅力にして講師をしていた人などは大窮迫でしょうし、文科の教師たちもなかなかの困難にめぐり合う次第でしょう。
出版整備の見とおしも、この面から推しても略想像されます。三千軒が二百軒になるのみならず、企画は理工科出版と所謂教養に重点をおいて純文学は何パーセントを占めることが出来ましょうか。
自分の仕事との連関でも、深く考えるところがあります。そして、遂にジャーナリズムの枠をはなれて真の作家的生活を送るべき時に立ち到ったことを痛感いたします。作家の生涯に、こういう異状な時代を経験することは様々な意味で千載一遇であり、そこで立ちくされるか磨滅するか何らかの業績をのこすかおそるべき時代であり、各人の精励と覚悟だけが、決定するようなものです。生活の設計も従って一層本気に再構成されなくてはなりますまい。何となしの可能として考えられていた条件を一さいとりはらった上で組立てられなければならないわけですから。
それでも私としてはこういう時機にめぐり合う者として、どちらかと云えば仕合わせと思って居ります。私の場合では自分にかかわるいろいろの事情が、大変納得のゆく又作家として自信も失わない性質の条件で、そのことは騒然と爪先立った処置、身のふりかたとして状態をうけとらせず、もっと文学の本質に即して永い目で、日本文学の消長について自身をも含め考えさせ、それは生活の感情に浸透して居ります。いよいよ落付いて、という方向へ気を向けさせるわけですから。ただ、貧乏は一層ひどくなりますから、どうぞあしからず。そちらの最低限は(今ぐらい)何とかやりくれましょうが。マア何とかやってゆけるでしょう。こちらの方はおそらくそれよりずっと少額でしょうから。当分は国男さんの世話になるわけです。それは追々こうして暮していると、わたしという人間も暮しかたもわかりすらりと行けそうですから御心配下さらないでようございます。(いずれそういうことについてはもうすこしプランが定ってから改めてお話しいたしましょう。目下のところは、昨今の事情に応じて、去年の秋から今までのような経済のやりかたをすっかり切りかえて、ずっとずっと目前には窮屈ながらいくらか永続性のあるやりくり法を考えようというわけで、国男顧問が相当肩を入れていてくれます。現在のままですと、来年夏ごろにすっからかんで、あとは目下の印度同然餓渇地獄となりますから。)そうなっては、うちの顧問先生にしろ自分がアプアプ故迚も手のうちようがないから、という次第。
あなたにはお気の毒さまですが、こうやって無いというところに落付いて、世帯くさいいろんなものをさらりとすてて、又女学生になったような気分で、仕事考えているのも、なかなか清爽なところがあります。まあ、尤も、この冬どうしてあなたに暖いものをおきせしようかと思いなやまなくてもいいようにしてあったからそんなこともいっているのですけれど。
わたしが病気で死にそこない、そこから命をひろい、恢復期になっていて、何か新しい生きるよろこびが体にも心にもあって、仕事についてもこれまでのところはそれとして一定の段階に到達し、先の歩みはこれ迄のやりかたでは達しられないという自覚に立っているとき、いや応なしに内面集注すべき事情が発生して来ていることは、貧乏で辛くこそあれ正当にそれを生きぬけば、芸術家にとって全く祝福であると思われます。わたしが逆説的な恩寵として感じる心持、同感して下さるでしょう。巨大な樫の木が、人の目もふれない時とところで刻々のうちに巨大になるのです。そのような生命のひそかなる充実は何という微妙な歓喜でしょう。この時期の勉強如何で、一箇の能才なる者は、遂にそれ以上のものに成熟するのではないかというまざまざとした本能の予感があります。こういうニュースにふれながらこんな音楽の感じられる手紙のかける私達はつまりは幸福者であると云うわけでしょう。風邪は大丈夫? 私は御覧のとおりよくなりました。
九月二十七日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕
九月二十六日
七八年前、三笠からツワイクの『三人の巨匠』という作家論が出ていたの、御存じでしょうか、うちにあるのはきっとあなたのもっていらしたのではないかしら。
バルザック、ディケンズ、ドストイェフスキー。バルザックをよんで面白くツワイクという人の特徴も一層明瞭になりいろいろ考えました。ツワイクはこの作家論で、それぞれの作家の作家精神の精髄をつかみ出すことを眼目として居ります。バルザックの精神を、全体を全体なりに掴もうとする熱烈、病熱的情熱。あらゆる価値の相対性、それらを型《タイプ》化せんとする偏執狂的熱中。自己陶酔、偉大なる断篇《トルソー》としてつかんで居て、特に金銭がバルザックの世界で最も変質しない普遍的な価値として(人間を支配するものとして)現れていることなどをあげて居ります。
ツワイクはこうやっていきなり作家の心臓の鼓動に手をふれる能力と果敢な精神をもっているのだけれども、バルザックが青年壮年時代をナポレオン没落後のくされ切ったフランスにブリューメルの罪過が最も悪臭を放った時代にすごされて、彼の大天才はああいう内容をとったということについては見ていないのね。その点ケプラー伝の作者ザイレの方が歴史の背景を描き出しています。
ディケンズをイギリスのヴィクトリア時代の枠にはまって伝統精神と不思議に一致した天才としてつかんでいる点も正しく鋭いと思います。この作者についてツワイクはよく歴史を見ているのだけれど。フランスのナポレオン時代後の腐敗の中からバルザックとスタンダールの出ていることは何か暗示にとんでいはしないでしょうか。
つくづく思うことはね、バルザックの偉大さはなかなか単純な若い生活経験では理解出来ず、且つ日本の今日までの文学者は自分の生活感情の内面に共感出来るだけ巨大な波瀾万丈的経験をもっていなかったと思います。今日以後の、勉強をよくして世界の事情に通じ、人間学に通じた作家なら、日本人もはじめてバルザックをかみこなす土台をもつようになるでしょう。そして、偉大さが分るということは好きとは別であり、更に未来の偉大な作家は決して再びバルザックの厖大な自己偽瞞、熱に浮かされた幻想の固定化は行わず、彼のあの薄気味わるいリアリズムとロマンティシズムの双生児(タイプを凝結させようとする――純粋な情熱(何でもそれはよい)への熱中)は生まないことを、銘
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