度です。そちらもお暑いことでしょう。でも、風が通りましょうか。あなたの昔々のテニス用シャツがこんなに便利に私の役に立つとはお思いにもなれなかったでしょうね。襟をすこし小さくして、袖を短かくして、浴衣のビロビロしたのとは比較にならず楽です。木綿の単衣が段々なくなって、結局又十年前のスカートとブラウスになりそうです、少くともうちにいるときは。お元気で。
八月四日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(鎌倉建長寺の写真絵はがき)〕
八月四日
建長寺でしょう? 葛西善蔵がいたというところは。昔、鎌倉の明月谷というところに一夏いて、小説かいていたことがあります。そのとき、建長寺も見に行ったのだけれどこんなお寺ではなかったわ。きょう、冬から早春にかけてかいた詩をよんでいて、「祝ひ歌幾日をかけて」という歌をよみかえしていたら、そこに「口紅水仙」の詩のこともかかれて居りました。四季咲きの花は、夏も爽快な驟雨のもとに、水しぶきに濡れながら、花びらにおちるしずくの粒をよろこぶように揺れ咲く様子を、思いおこしました。葉がくれの一本水仙、ほのかなる香に立ちて、という風情。
八月四日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(箱根宮之下の写真絵はがき)〕
体の工合はいかがでしょう。本当に大丈夫でいらっしゃるのでしょうね、この間は、大丈夫ときいて安心していたのですが段々気にかかり出しました。自叙伝は極めて真面目な深い本です。流水と共に生きている人が、初めてその河床の凹凸について語れる、そう感じる本です。この本をよみ、文学というものを考えると、全く文学は、文学趣味から解放されなければ恐るるに足りないものでしかないと思います。即ちこの本は一つの文学ですから。「誰が為に鐘は鳴る」の下巻が一箇のテキストであるように。
八月四日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(レマン湖の写真絵はがき)〕
八月四日
きょうお金をお送りいたしました。湿度が高くて八十二度しかないのにさっぱりしない日です。レマン湖のエハガキも、これでは何となくがっかりね。スウィスは牛乳が世界一良質だそうです。北海道の雪印バタ工場が焼失したそうで又一層バタはなくなるでしょう。八月玉子は一ヵ月に一箇だそうです。この頃どちらを向いても茄子、茄子です。茄子の花の色は風流ですが。
八月五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(箱根大涌谷の写真絵はがき)〕
この前お手紙頂いたのは十五日の日づけでした。私がお目にかかったのは二十日です。きょうは五日。もう半月以上経って居ります。行って、お会い出来なかったのは二十八日でした。二十日から二八[#「二八」はママ]日までの間に、状況はちがったというわけでしょうか。その間から起算して二週間(予防期間)とすれば、七八日頃になります。益※[#二の字点、1−2−22]気にかかります。その頃ともかく行って見ましょう。
八月五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(箱根芦之湖の写真絵はがき)〕
八月五日。弁護士さんから電話で、お会いした由。御用が通じたのは何よりです、予防のため出入をしないようという期間はもう終ったのでしょうと思います。きょうも八四度だのにずっと暑く感じます、今年がどうか苦しい夏にならないようにと心から願って居ります。十一日ごろ上って見ます。
八月六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(モンブランの写真絵はがき)〕
こういう色も山々に映り刻々変化して行ってこそ美しいのでしょうが、固定されると安価でモンブランのために気の毒ね。『日本評論』、社からじかにお送り出来るようになりました。『市民の科学』(ホグベン)そちらへ一緒に行ったようです、もしおよみになればよし、さもなくばいつかお返し頂きましょう。『文芸春秋』はまだうまく運びません。シャボン又送ります。八月六日
八月六日夕 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕
八月六日 夕刻
さっきお手紙頂きました。このお手紙は干天の雨でした。何だかそちらの御様子がよくのみこめなくて、次第次第に心配になって来て、段々私の目つきがよくなくなりつつありました。あなたとしては熱の低くない方で、周囲に流行している関係上、様子を見る方がよいというわけであったことがはっきりいたし、安心しました。そちらへ行ったのは二十八日(金)でした。八度二分も出たという日でしたから、尤もなことでした。
森長さんはすこし熱が下ったときだったわけね。こちらから電話したのでしたが、あのひとも親切にことづけのこときいたりしてくれても、直接私が心配を話す時には、そんなこと一言も云わず、私の心配もピンとしないような物の云いかたで、そこが又あの人の好いところとも云えるのでしょうが。でも、このお手紙で、私はどんなに安心したことでしょう。いつぞやの夏のような苦しさは、二度と願い下げです。本当に状態がわかって何とよかったでしょう、ありがとう。少し早目に(体の調子を云えば)手紙かいて下さっただけのねうちは充分ございます。もうこれでいいから、どうぞ大事に熱の下るよう風邪をお引添えにならないよう願います。
私は十一日頃参りましょう(水曜日でしょうから)。その頃はもう熱もすこしは、おさまって居りましょう。
しかしもし熱の工合で御考えでしたらことわって下すっても大丈夫です。只私はわけさえわかれば納得いたしますから。
私の方はどうやら幸もって居ります。近視の度の進んでいることを発見したので近く検眼して眼鏡をかえます。もうウロプンクタールはないから、悪いレンズでは仕方あるまいと思いましたが、やはり戸外を歩く時なんかは度の合ったのでないと疲労が早くていけないそうです。ものをよみかきするには今のでもいいらしいのですけれど。
きょうは大変暑うございますね。細かい字をつめてかくことが出来にくいのよ、御免なさい。フーフーだけれど心は計画にみちていて、活気をもって居ります。辛棒の仕甲斐ということのよろこびも、折にふれて切実です。又くりかえすと、そら御覧ブランカ、ですが、呉々も小説は戻してよかったことと思います。
今年の夏は所謂丈夫な人によほどこたえる風です。私のようにまだ眼もちゃんとしないし、仕事も出来ず、万事を静養に集注している者は、却って助って居ります。いそがしさ、仕事、どれも倍で、体の力は不足故、えたいのわからない永続性の下痢をやったりして居ります。私は貧乏の量を多くして同時に休養の量も増すことにきめて居ります。小説のことよかったとこんなに云うのもつまり静養[#「静養」に傍点]の価値について一層明瞭になったからです。
うちは百日咳のさわぎで、食堂など家庭野戦病院的光景です、吸入器と並んで食事します。咲枝も六月下旬からずっと入院、子供の百日咳とつづいて疲れて居りますが、今年の夏は私は子供係りは致しません、又、あと戻りしたらことですから。寿江子は信州辺に出かけるとソワソワです。田舎へ行けば旧習依然でも万事よくなると楽天的に考えて居るようです。私は夜なるたけあけて眠るよう気をつけて居ります。
出かける用事が終ったら、疲れもへりますから、涼風とともにすこし計画を実現し一日に少しずつものもかきたいと思って居ります。今はのんきに考えて、本もうだって読めなければ、マア其で、余り我が身を攻めません。夜ぐっすり眠りそのぐっすりさは大分もとのようです。いろいろ考えようと思って枕に頭をつけると、いつか眠ってしまうと大笑いです(尤も、そんな考えの主題はやりくりについて、というようなもので、全くよく眠気を誘うのですが。)朝目をさましたときいつも必ず心にする一つの挨拶や空想は、詩についてのもので、それはいつも新鮮で真面目で、そして淳朴です。神々の朝というようなものよ。或はいつぞやの真白き朝という詩のような。そのような朝が、そちらにもあけることでしょう。呉々も呉々もお大事にね。
八月八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(伝光茂筆「浜松図屏風」の絵はがき)〕
ゆうべ(六日夜)のむしかたはひどうございました。夏になって初めて、横向きにねている上の方だけ発汗してそれがつめたく何とも云えずいやな気持の夜でした。苦しい晩でしたから、そちらもさぞと思われます。きょうもえらかったことね、夜は幾分ましですが、湿度90[#「90」は縦中横]%ですからしのぎにくいのは無理もないことね。今年はこんなに湿度高いのに、開成山の方は干上って井戸の底が見えているそうです。
八月九日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(伝光茂筆「浜松図屏風」の絵はがき)〕
八月九日、電報を、わざわざどうもありがとうございました。様子はっきりせず段々心配になっている手紙御覧になり打って下すったとありがたく拝見しました。お目にかかったあとで、きっとこのハガキはつくのでしょう。森長さんに五日ごろ電話したのでした。あの人のこと故その日はあなたの熱が下って、他の病気の発熱でないと判明したというようなことはちっとも分らず、只、会ったというので益※[#二の字点、1−2−22]私の心配はかき立てられたのでした。でも本当によかったこと。どうぞどうぞお大切に。
八月十一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕
八月十一日 ひる一寸前、八十八度
ゆうべの夜なかは涼しかったのに、きょうはやはり相当の暑さになりました。お工合はいかがでしょう。熱は下ったでしょうか。
きのうはお目にかかれ大してへばってもいらっしゃらない御様子を見て安心いたしました。一時的のことでしょうね。何しろ、丈夫な人でもよほど健康[#「健康」に傍点]というレベルは下っていて、今年の夏はしのぎ難いそうです。
幸、風はとおりそうですからどうぞゆっくり御大切に。しかし、あなたとして見れば、この位の変調は注意を要する、という程度で、もっともっとひどい思いしていらっしゃるのだから、十分の経験をおもちのわけです。きのう伺うの忘れたけれど、血をお出しになったのではなかったのでしょう?
私の暮しに、具体的な情景が加ったと申すわけです。静かそうで、バタンバタンなくて、休めるでしょう?
何となし、学生暮しの雰囲気でやっていらっしゃるのね。それを感じ、世帯じみていないのを快く存じました。きっと人によるのだろうと興味深く考えました。私もあんな風に、どこかあっさりとして、からりとした雰囲気で暮しているだろうかと思い、その点では余り点が低くもあるまいと自答いたしました。私は女ですから猶更生活のいろいろな変転を経験するごとに、つまらない意味で世帯じみていないこと――つまり些細な日常的癖に拘泥する習慣のないこと――をうれしく思って来たものです。こんなことも当然とは云いながら、やはり私たちの仕合わせの一つよ。そして私はこうもよく考えます、ずっと一緒に暮せていたら、私は自分のよい意味ではまめまめしさで、反対には俗っぽさできっともっと家庭じみ[#「家庭じみ」に傍点]ていたでしょうし、あなた迄も世帯っぽさでまきこんだかもしれない、と。
あなたは「ジャン・クリストフ」をお読みになったでしょう? 覚えていらっしゃるかしら。あの中にクリストフに深い信愛をよせた伯爵夫人がいたことを。娘が一人いたひとです。その人がクリストフの芸術を高く評価して、部屋へ訪ねて行きます。そのときクリストフは留守なの。クリストフの部屋は、婦人向きとはおよそ反対です。客間とは全く逆です。その様子にその女のひとは快い息をするのですが、すぐ何となし少し片づけてやりたいという気が起るのよ。それを自制して心のこもった眼差しで飽かずぐるりを眺め壁をながめ、かえるのだけれども。女の心持って可笑しいのね。そういう点になると女心に東西なしということになります。
昨夜寿江子は信州の方へ出かけました。去年行ったとき上田が気に入ったというので、もし家があったらそこへ暮そうかなどとも云って居ります。松原湖へ行くのですって。十日ほどで帰るでしょう。昨夜は珍しく門まで送ってやって一年と半ぶりで
前へ
次へ
全44ページ中24ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング