の複製があり、その中に一つ鳥居庄兵衛作の絵があります。初期の紅絵時代、茶色の荒い紙に、上に紅葉の枝をさし交し、侘住居をあらわす一本の自然木の柱、壁のつり棚、濡れ縁があり、壁には傘が吊られ棚に香炉がくゆり、太刀がかけてある。ぬれ縁ぎわに机を出して、かっちりとした若い男《武士》が物をかいている筆をやすめ、その手で頬杖をつき一寸笑をふくんで外に立っている女に何か云っています。女は元禄姿[#「姿」に「ママ」の注記]の丸くふくらんだ立姿で、すこしあおむきかげんに、男の顔は見ず、横向きに立っている。前方へ視線を向けながら一心にきいている、その顔を見ながら男は笑をふくんで何か云い、重厚さとさっぱりさと和気とがみちていて、実に心持よい作品です。私はあかず眺めます、そして思うの、私たちの仲よさの単純さ、自然さ雑物なし、とこれは何と似ているだろう、と。お目にかけたい絵です。そして女は、外に立っているのに、履物はくのを忘れて平気でいるのよ。

 七月二十六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(ウラジロモミの写真絵はがき)〕

 岩波で少国民のためにという本の中で、『地図の話』武藤勝彦著があります。大変に面白い本で、少年向というのが、丁度たのしみの程度です。イリーン『自然と人間』(中央、ともだち文庫)は訳が「あります」文章で、イリーンの持ち味をそこなって居ります。二つとも手に入りました。お送りいたしましょうか。特に『地図の話』の方。

 七月二十六日 (消印)〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(ウラジロモミの写真絵はがき)〕

『地図の話』よんでいたら尺度の標準をきめたのはフランスであり、大革命の直後であり、子午線の長さの決定のために測量班がダンケルクへ行ったそうです。ダンケルクというところはこういう不滅の記念をももった土地なのですね。フランスではすべての価値の標準が変ったので、学者《ガクシャ》は兵火にでも何でも変ることない尺度の標準を求めて活動しはじめたのだそうです。つまりは人工的にメートルをきめたのが落着だそうです。

 七月二十六日 (消印)〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(富田溪仙筆「迅瀬の鵜」、「梢の鶯」の絵はがき)〕

『地図の話』なんかよんでもつくづくと考えます、わたしは、太郎や健之助が、少くとも科学的な技術家になってほしい、と。学者としてというほどをのぞまないでも。文学やその他の学問はまるで飴のように扱う人々の手でひねくられてしまいますが、科学には少くとも基本の原則は厳存して、それをごまかしてはうそもつけないという面白いところがありますから。

 七月二十六日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(光琳筆「群鶴図屏風」の絵はがき)〕

 文学と科学についてなかなか面白いたくさんの問題がありますね。文学は、その人の感受性、表現力の特質からだけ云われて来ているけれども、実はよほど大きくつよい精神の力が入用であり、強固な人でなければ文学の伝統をその身を貫いて守ることは出来ないときがあります。科学はそれほど創造的熱量のたっぷりしない者でも個人としてのうそを少量につくだけで過せる時があったりして。同じ凡庸人なら科学の方が罪があさいと申すわけ也。

 七月二十八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(江の島名勝 稚児ヶ淵の写真絵はがき)〕

 一寸涼しい風が吹くようでもあるでしょう? もののつり合いは面白いものですね、小さく人がいるので涼味も深まって見えます。
 きょうは私が発病して一週年めです。一週忌と称して居ります、トマトをたべます。そちらでトマトありましょうか。去年のトマトの今夕の味を思いおこします。そこまではわかっていたのよ。あったかいトマトでした。

 七月三十一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

 これが、タイプライター用紙です、かなりのものでしょう? 今そこいらに書簡箋というものはありません。
 さて、きのうは一寸気がもめました。八月一日は日曜日だし、二日はさしつかえるし、三日は疲れていてあやしいし、というわけできのう汗をふきふき出かけましたら、お目にかかれず残念でした。けれども、事情がわかり御自分の病気でおありにならないなら、これも世間のおつき合いで致しかたがあるまいと思いました。本当にあなたはお丈夫なのでしょう?
 そう云えばこの前私が出かけてから十日経ちましたが、お手紙頂かなかったことね。あなたの御都合とだけ考えて居りましたが、そうでもなかったかもしれないのね。
 それにつけても、これはどうでしょう、着くかしら。それともやはり二週間は禁足でしょうか。随分御退屈つづきに暮させたから、これからは少し、と思っていたところへ、早速又二週間ほどちっ居でお気の毒さまです。やはり今年の流行病のひどさですね。どうぞ、どうぞお大事に。呉々もお願いいたします。私たちは食物に非常に注意して居ります。生のものは食べないようにして。
 そんな条件はないように思える人が、うちでもあんな騒ぎを演じましたから、とてもあぶないのね。けさ七時半の汽車で、父さんと太郎女中さん安積へ出発しました。うちでは今健之助が百日咳でどこへも出られず、太郎のは休みはきまっているので先発したわけです。わたしは、落付いていて本当にうれしかったと思うのよ。こんなにガタガタしてあっちこっち右往左往している連中のなかで、自分も荷を送り、どこかへ出かけるとしたら、どんなに気ぜわしく休めなかったでしょうかと思います。私はこの頃ひどく脂肪の不足を感じ(!)Aを油でといたヴォガンというのをのんで居ります。紅茶に入れて。冬の間に医者がくれたのですが、却って今の方が要求されます。冬はまだ牛乳もあったしバターもありましたから。このヴォガンというのはスイスの製品だそうだからもうないでしょうね。何か珍しく当時入手したのだそうでしたが。ハリバでものみましょうか。ふとりたくもないのよ。ふとるより体の力がほしいのです。
 小説のこと、いろいろお心づかい頂きました。やっと無事、かえって来ました。御安心下さい。そして、よかった、と思って居ります。
 中村ムラ夫などという人が詮衡委員で、やいやい集めた原稿を御詮衡下さりその上で収録をきめるのだそうです。私は大した識見ももたないものではあるが、ムラオ先生に点をつけてもらったり、のせるの、のせないの、と云われる作家ではありません。文学の点ではないのですもの。おっしゃるとおりでへこたれます、本当にその通りなんですもの。これも極めて、いい経験で、私もすこし会得いたしました。実際の場合として。とりかえしてすっとしました。丁寧に、意にみたないから折入っておかえし下さるように願います、と云ったのですから失礼でもございますまい。
 きょうはすこし乾燥して居りますね。わたしの汗のひどさと云ったら! でもねあせはちっともかかず、苦しくて眠れないという疲れかたはいたしません。ネールの自叙伝上巻が買えました。もうすこし読み進んだらきっと面白いでしょう、全体の動きの前に自身をかいているのですが、一九〇七年頃イギリスにいた(ハーローやケインブリッジ)印度学生というものの生活その他もうすこし形象化されていると、なかなか色彩もあり、大したものでしょうが、どっちかというと一色の糸をたぐって立体的筆致でないところあり、『インディーラへの手紙』の生彩を欠いたようなところもあります。作家と歴史家との相異、ネールは歴史家の素質によりゆたかということになるかもしれません。執筆の年代は、世界史のすぐあとですね、一九三四―五ですから、前の方は三一―三三です。彼の大部な著作はみんな一定の生活条件のもとであり、これもそうでした。書けたのです。割合スピードを出してよんで、お送りしようと思って居りますが、いかがでしょう。
 隆治さんのことは心にかかります。稲子さんにしろいいときかえったので、なかなかかえれない由です。どうしているでしょうね、たよりのないのは、当然というようなわけらしいし。益※[#二の字点、1−2−22]そうのようです。どうしていても無事ならば、と願います。自分の力で収拾のつかない事態に対して、冷静で、過度の責任感に負けたりしないようにとどんなに願うでしょう。小心の変じた勇気は痛ましいものですから。それよりは豪胆であることを願って居ります。本当に丈夫で、持ち越すように。
 昨今なかなか面白いこともあって、はげちょろけの浴衣でフーフー云いながら爽快なところもあり。今のような時に自分の借金を左右に見てその間をかけずりまわってばかり暮している人は気の毒だと思います。地球は廻って居り、星は空にきらめき、朝日は東に美しく出ます。
 二週間経ってからと云えば、八月も半分すぎます。その頃又出かけて見ます。スラスラとつくのか、たまるのかよく分らないけれど、わたしの心持とすると、云わば、大して納涼にならない団扇の風でも送ってあげようというようなわけでハガキなどちょいちょい書きましょう。いい絵はがきもないこと。てっちゃんが、この三ヵ月ほどつとめていたところをやめることになりました。先生というものは弟子が好きなのね。はッ、はッという。そんなこんなのいきさつでしょう。学者というより仕事師の下ではつづきますまい。あのひとも世間も知って来て、仕事師というような人間の型がはっきり分って来たから、無駄はありません。
『女性と文学』という本貰いましたから一寸お目にかけましょう。引出しの一つ一つに目先のちょっとちがった小布《コギレ》がつまっていて、ひょっと目をひかれるような気の利いた、柄の面白いようなスフではないものが入っている、しかし小布であり、全体は小箪笥と云った風の本です。文学談の上手なひとというのもあるものですね。そんなことも感じます、それは文学がすき[#「文学がすき」に傍点]な人です、そして、どんな生きかたをしてもその人として文学は好きであり得るという現実があります。
 呉々もお大事に。

 八月一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(江の島の写真絵はがき)〕

 八月一日。自叙伝はなかなか興味深いものとなって来ました。且つ、たくさんのモラルをももって居り又現実の知識をも与えます。世界史が書かれる時が来たら、この自叙伝は多くの真実を呈供するでしょう。規模の大きい人間が、どういう視界をもっているかということについて、考えさせます。よく語り、しかも饒舌でない著述とはどういうものかということについても教えます。ガンジに対してにしろ、皮肉を云うより前に、先ず払うべき敬意のあることを知らせます。

 八月三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(鎌倉由比ヶ浜海水浴場の写真絵はがき)〕

 八月三日。『文芸』の「かささぎ」という小説、三年ぶりに初めて雑誌小説をよみました。ほんとに小さい作品だけれども作者の心の本当のところから書かれていて好意を感じました。そして、こういう人たちの書く小説が、平常の心でかかれはじめているという事実、嘗て島木健作が、緊張し青筋を立て義人ぶった日本人を小説にかいてきた時代から四年の月日は、これだけの変化を日本の人の心にもたらしているということを興味ふかく感じました。

 八月三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(香港 Flower street の写真絵はがき)〕

 八月三日。高見順の歴史小説というのは、目が疲れてよみませんでした。(『文芸』はうちへかして頂きましょうね)しかし、あの插画の木村荘八亜流をみて、歴史(明治初期)という空気が、ああいうアトモスフィアで好事的にランプ的に見られているのは不十分であり、それは変りにくいということを感じます。文学史にしろ、明治文学史研究家は裏糸を見ないで、表模様にだけ目をとられているとおり。カナカナがもう時々鳴くでしょう。

 八月三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(江の島七里ヶ浜の写真絵はがき)〕

 八月三日、今午後三時半。わたしのおきまりの午睡から起きたところです。こんな時間なのに、この机の、二階の机の上の寒暖計はきっちりと九十
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