いました。あの小さい方の男が、気やすめとはっきり知って気休めを云っているところ、しかし大男や黒坊や掃除夫は、シニカルな気持の半面で真実それにひかれているところなど、ヒューメンな味が感傷でなく在って、あの一束の人たちの作品の特質は主としてそのところに在ると思われます。彼は物理と生物学の勉強をしているそうです。文学からそちらにゆくのは、そちらから文学に来るのと全然違うというのは本当で面白いことです。科学と法則を、彼のような作家が学びたいと感じるのも分るし、『廿日鼠』の大男のような自然力を感じる作者が生物学というところに立ちよるのも判ります。それが過程になるか終点になるかということで、彼の文学の可能も亦かわって来るわけでしょう。
 オニールのようにあっちにはああいう自然力を人間の運命のうちにつよく感じる作家が出るのね。ロンドンやホイットマンもそうですし。新しい生活力が、或ときは悲劇的に横溢するからでしょうか。
『文芸』は六十数頁の小冊子となりました。苦心して編輯していますが、作家は二十枚とまとまったものをのせ得ていません。多くの課題がこの一つの現象のうちに語られていて、作家がジャーナリズムの
前へ 次へ
全440ページ中87ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング