ーグにも住んだりした――ここで有名なデンマルク貴族天文学者ティホ・デ・ブラーエの助手として貧困な生活を送り、その死去後ドイツ皇帝づき天文学者となり、最後はカイゼルが未払いだった一万数千の俸給を請求に出た旅先でケプラーは死にました――けれども、そして絶えず、新教徒として生命をおびやかされ又正統的でないと新教から排撃されたが、しかしプロテスタントの土地に住み、その波にもまれたのでした。ガリレーはちがいますからね。ケプラーはふるえる手で、ジョルダノ・ブルノーの焚殺をよみました。後年はワレンシュタインが新教徒殺戮の只中でケプラーを庇護してワレンシュタインの没落と共にケプラーの一生も自然終ったのでした。
ケプラーの時代の大波瀾は、一年としてドイツの諸都・市を平安にしていなかったのが年表を見て分ります。何しろたった二つのときに、ネーダーランドとスペインとの間に大戦争がはじまり、フランスではバルソロミョーの大虐殺がありました。ケプラーの祖父は小さい公国の市長だったが、父は当時のドイツが傭兵市場であって、その一人となって、フランダースで旧教の兵となっていた有様です。分散して経済的にネーデルランドなど
前へ
次へ
全440ページ中302ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング