ましたけれども。
 例えばバクー大学にスキタイ文化の遺跡の集められたものがあって、これは日本の天平時代の美術と全く通じます。支那を通って日本に入ったのですが。タシケントの手前の蒙古にあったというギリシア文化と支那の文化の混交した古都のことなんか何も知らず、あのバクー大学の考古学参考室なんか、今考えると惜しいの惜しくないの。お察し下さい。大東亜という言葉の本当のよりどころは、そういう大きい文化の流れをとらえなければならない筈でしょうし。
 そのときは、ああ奈良朝の美術はここから来ていると漠然思ったきりで、ちっとも深く勉強しませんでした。惜しかったことね。固定して古典詮索の興味よりも、交易商業というようなことで古代の人間が不便な中を大きく動いたそこが面白いのね、ホグベンが再発見した支那から欧州への「|絹の道《シルク・ロード》」のようなものです。その道に当っていたらしいのですね。そのギリシアとペルシア支那文化のとけ合った全く独特の都会というのも。三蔵の大旅行の時代には在ったそうです。
「金髪のエクベルト」早速よみました。いかにもドイツの話ね、あの白っぽいドイツの金髪の色と灰色とみどりのような
前へ 次へ
全440ページ中289ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング