のは全く夏つづきというにはぼーっといたしましょう。隆治さんはジャワでようございました。あすこも夏ばかり、花の咲きつづけのところですって。しかし、なかでは凌ぎよい由。花が咲く、という言葉には、深い感じがあって、それこそ花のない町という裏づけがあってこそなのだのに、年がら年じゅう花が赤く黄色く開きぱなしの自然の中では、よろこびの感覚さえ眠ってしまうでしょうね。
 ゴーギャンの絵の感覚は、そういう自然の中に他国の感覚で入って行って、全身をそこに浸したときの作品ですね。文学は生れますまいね。音楽が単調になることもわかります。
 私は季節の変化を愛し、北方的な人間だから、のろのろぬうとした樹木を見てもこわい方です。日向に青島というのがあり。どうかして太古に漂着して日向の海岸のその小島ばかり今も南洋の椰子棕梠を茂らせているところを見に行って、蛇がからまり合って立ち上ったような樹々を見て、動物的なのに大恐縮してしまったのを思い出します。
 動物的と云えば、上野に住んでいた猛獣たちは市民の平安のため処置されました。火、音響などによわいから。上野公園に昔平和博というのがあって、父は第一会場(上の方)をう
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