けもち、いろいろ空想して自分の好きなサラセン模様の音楽堂などをこしらえました。美しいものでした。その時、紙屑入れとして場内に牧羊神《パン》の山羊の頭のついた紙屑入れをつくり、市の公園課が気に入って、ずっと最近までそれが鉄に白エナメルをかけて置かれていましたが、金だから献納になり、今は一匹も居ないそうです。国男さんが気づいて話しました。その晩床に入ったらこんな歌が出ました。

 最近二十何年間にたった二つのうたと云えば先ず珍品に属しましょうか。
『文芸』のNの「混血児」。久しぶりでこのひとの書いたものをよみ、ちびた細筆で不足の絵具でカスカスにかかれているスケッチを見た感じでした。小説かいていた時の、よかれあしかれ、非常に低い素質のものながらぽってりとのびのよかった筆致は失われました。よくうれて、よくかせぐが、根に新しい境地が拓けていず、本当には文学がそのひとなりの前進をとげていないでああなのですね。文学くさいのが却っていやですね。あいまいな、鈍い、小さいそのくせ作家意識から神経を張ったような書きかたで。
 尾崎士郎は「人生劇場」で浪花節のさわりめいた味を出したが、この頃、いろいろ経験した
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