ところで妙なボダイ心をおこし、享楽主義も中途で平凡な善悪にひっからまってしまって、あんなことになったのね。大正のネオ・ロマンチシズムの末路の一典型であると思います。春夫が奇妙な生き恥を文学上さらしているのと好一対。しかし谷崎の方がすこし上です人物が。谷崎は、春夫ほどケチな俗気にかかずらって文学をついに勘ちがえしていませんから。
 藤村は「東方の門」という長篇(岡倉天心を主人公にするものの予定でした由)の第三回をかいていて、死にました。七月下旬大東亜文学者大会というのが二十五日にひらかれ、Yなどが満州代表として来たりした一二日前に。「夜明け前」のような主調を、一まわり東洋にひろげたものであったのでしょう。この作家はいやな男ですが、文学者としての計画性について、それを押しとおす実際の努力について、学ぶべきところはあると思います。人物のいやな面を十分みぬきつつも、一方のそういう力は学ぶべきですね。どういう意味と目的とからにしろ、彼ぐらい計画性にとんだ作家はいません。あの年代の人で。秋声は人聞は遙かにいいけれども、自然発生にああなのだし、正宗に到っては、旦那衆の境遇上のスタビリティーですし。

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