いうと、ドイツ・ロマンティシズムの傾向もわかるようです。社会に有用[#「社会に有用」に傍点]になる、ゲーテ式自己完成への反撥として、ね。その俗気への対立として)イギリス文学は、社会で実際人々を支配しているイギリス流の道徳の説明書みたいなもの、(ツワイクは、この点なかなか穿って居ります。ゴールスワージー迄謂わばそうです。だから大戦後はロレンスやジェームス・ジョイスが出たのね)フランス文学は、社会と箇人との勝負を常に主題としている、バルザックにおける如く、と云って居ります。今、なかなか丹念に「幻滅」をよみ終りかけて居りますが、バルザックは、或るスペイン坊主の口をかりて、「フランスには、一貫した論理というものが政府にもなけりゃ個々の人間にもなかった。だから道徳というものがなくなっている。今日では成功ということが、何にもあれすべての行為の最高の理由となっている。外面を美しくせよ。生活の裏面をかくして、一ヵ所非常に華々しいところを出してみせよ」という風なことを云わせています、フランス人の暮しかたの或面がわかり、日本の画家藤田嗣治の一ヵ所押し出したやりかたもうなずけます。でもバルザックもツワイクもそれからもう一歩入って、何故そんな精神の伝統が出来たかという、真の解明は出来なかったのね、いろいろな国の文学史の面白さは発達史ととものもので、そんな点から、やはり世界の歴史にはつきない興味があります。
 文学精神の伝統ということ、それなども明治文学の文献的研究では語りつくされません。明治文学史の専門の勉強をしている人にきいたら、そういうまとまった仕事は、まだ一つもない由です。日本文学史はあるのね、でも日本文学の精神史はありません。文学評論史は久松潜一かのが二冊ありますがそれは、文学論の歴史的(そうじゃない)年代記的集積配列で、もののあはれ、わび、さびと、王朝から徳川時代へ移ったあとを辿っていて、しかし、文学精神としての追求はありません。幾人ものひとが一生かかるだけの仕事が、何と未開拓のまま放置されているでしょう。近代及現代文学は勉強家をもたなすぎますね、里見※[#「※」は「弓+享」、第3水準1−84−22]のように、小説は勉強で書くものではない、という作者気質がどんなにつよかったかがわかります。文芸史家なんて謂わば一人も居りません。将来の日本文学は克服すべき貧寒さの一つとして、そんな面ももっているわけです。どんどんと気持よくつよい歯をたてて勉強してゆくような気魄ある人物を見たいものです。
 紙がつまってしまったから、又つづきは別に。

 十一月二十二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

 十一月二十二日
 もう手紙に白い紙を使うということは出来ないのかもしれませんね、文具やに封筒はあるけれども帖面も書簡箋も何もなしとなりました。「幻滅」に、製紙上の発明をする男が登場します。十九世紀に入ってから今日までどんどんと発展したっぷりつかわれた紙が、今又おそらく世界中で窮屈になっているのは大したことです。前大戦で紙の不自由したのはドイツ、フランスにロシアぐらいのものでしたろうね。
 中央公論も『婦公』七割五分削減、『文芸』八割とか。毎日会議会議の由です。
 きょうは、防空演習第一日で豊島、瀧ノ川、板橋その他、明日は林町の方。もんぺ姿でテコテコと出かけ、時間も考えたつもりでしたが、結局二時から三時すぎまで前で待避して、それで帰らなくてはなりませんでした。豊島は第一区なのね、これから防空演習のときは、そちらのときもやめましょう、つまりは待ち損となりますから。段々こんな場合が殖えますね、二十七日が金曜で総合訓練。このときは発令と同時に電車もとまり、壕へ待避しなくてはならないから、わたしは引こんでいとうございます。そうすると月曜ね、さぞこむことでしょう。
 ふとん衿の白い布送りました。『幻滅』と一緒に。バルザックという作家は面白いのね。関係をとことん迄発展させ書こうとするために、登場する人物はどれも原型的ならざるを得ないのね、そこが現代の人間の生きかたにない現実なので――今の時代の人間は、よくてもわるくてもバルザックの主人公たちのように一途ではないから、もっともっとカメレオン式であるから――きらいな作家という印象を与えるのですね、そのいきさつが今度よくよんでみてはじめてわかりました。だからバルザックの限界というものもよく分ったわ。彼の作品の世界では、利害と権謀とが徹底的に跳梁しなくてはいけないから、人間は、だます人間は飽くまでだまし、だまされる人間はあく迄だまされるという可能が許されなくてはならないわけなのでしょう。そこがディケンズとのちがいね。「クリスマス・カロール」なんて、バルザックはきっと鼻の頭にしわをよせたきり黙っているでしょう。
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