こちらでも心がけましょう。『インディラへの手紙』は私達の物ではないのでしょう?「笛師の群」がおやめになって安心しました。ああ云うものはもう重版がないから、私達としては勉強上大切です。今度の新税法で煙草がうんと値上りになり、印刷税と云うのも出来て、二円の本に二割の税が付くようになりました。単行本の用紙がこれまでの半分に制限されました。本はいよいよ手に入りがたい物となって、この暮にひどい古い本を整理したら、およそ百円一寸と玄人がみたのが、市場では、三倍ほどになって、助ったようなものですが、本はお売りにならないようにと、くれぐれ忠告されました。そんな有さまです。本で苦心しない人は五十銭の文庫本一冊のために、どんなに苦労するか判らず、しかもそう云う世間の事情なら、なおさら本をよく供給しなければならず。
 病気のことに就て色々の御注意をありがとう。素人考えだと、とかく片づけることばかり急いで、副作用の有害な処置を取りがちです。つい早くなおしたくなるのね。病気にあきて。自然の時期まで根気よく持って行く力がとかく欠けがちです。私としては、病気のさけがたさの条件も判っているし、病菌の蔓延するわけも判るし、災難ながらやたらに手っとり早いことを願ってばかりも居りません。
 そちらに行くことも、では、仰せを畏み、あせらずに居りましょう。(ここで溜息をつきましたよ〈筆者註〉)家のみんなも心配しているし、なかんずく、目前の筆者は、行くなとは云えず、安心もせず、私が出かけると云う日には、旅行に出ようかなどと云う有さまだから、本当に急がない方がいいのかも知れないわ。ただ、あっちに火柱が立ったり、こっちに煙が出たりする時のことを考えると、あなたがそのお守りと云うわけではないけれど、何だか一目見ておく方が惶《あわ》てかたが少なそうに思えるのよ。ゆっくりと云えば秋位になってしまうかも知れないわね。今年の夏ばかりは東京にいる勇気がありません。あなたもおおめに見て下さるでしょう。いずれにせよ決して突然現われると云うような趣味的な[#「趣味的な」に傍点]ことは致しませんからそれは御安心下さい。
『人間の歴史』、目白から貰ったけれどまだよみません。「私」と云うものを知らないと云う点、古代人と現代の良識との間には何と云う本質の大きい相違があるでしょう。ルネサンスから二十世紀迄の「私」の歴史が蓄積して来た人間の宝としての大きさ、それから更に拡大した自分としての「私」の無さ、それは漱石が「明暗」の時代にリアリズムに足を取られて「無私」と云ったものとは全く違って、なかなか面白いものです。ヘミングウェイが彼流の道を通って好き嫌いなしに、どんなことにでもぶつかれて、その時の理性の判断に従って行動して行く行動性のなかにも、せまい個人からぬけ出る一つの道が示されています。現代のゴタゴタをくぐりながら、意志と、はっきりした強い頭とで一つの道を徐々に切開いて行く強い人間のタイプが彼で、興味があります。
 ひどいスピードにたえる現代人の神経や、酒を飲んでも正気を失わない頭の強さや、パンチの強さまでこの作家のなかでは一つの方向にまとまって神経質なのが作家だというようなけちくさいマンネリズムがふっとんでいるだけ気持がよい。感受性の鋭さや、清潔さは、中学生くさいモラリゼーションより確なもので、後者に永久に止る見本は島木健作です。
 この紙は行が大きくて打撃ね。スエ子さんが怒るけれど細い行のを見付けてくれないくせに。ひどいわね。布団襟に付ける布、お送りします。小包を開けた時、ああ代りが要るな、と思ったのよ。
 どてらの巾がせまくて着にくくはないでしょうか。今年の春は私の生きかえったお祝いに御秘蔵の紺大島を着ましょうね。足袋はまだそちらに有るでしょうか。
 私は風邪をひきません。そちらもくれぐれお大事に。

 一月二十八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(代筆 ミレー筆「編物をする女」の絵はがき)〕

 二十五日のお手紙有難う。
 二十六日に寿江子さんと御返事を書き始めたのに今日もまだ未完成という始末。それほど長いのではなく、代筆係りがつかまらないというわけよ。一、教材社へは手紙出しました。二、たちばなのチェホフはありました。三、高山書院の本は二冊ともあって各一円五十銭、四、平凡社のもあって一円八十銭、五、毎日年鑑は附録はどうだったか覚えていません、朝日には附録がついているから同様ではないでしょうか、六、衛生学はまだ調べがつきません、七、足袋は製作にとりかかります、八、カロッサは三笠と河出から出してるらしいけど本がなくてうちにはバラバラに四冊あるだけです。「幼年時代」は何しろゴーリキイやトルストイがあるからお手柔らかに思われますが。

 一月二十九日 (消印)〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(代
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