もひかれるような場合があるものではないでしょうか。
 ろくでもない養生ぶりについて患者は、自分の感受性を裏づけるだけの闘病の経験も知識もかけていて、したがって意力も十分ではなかったのだと思います。自分の気もちとして、何これで死んでいられるか、という思いばかりはげしくて。信用出来ない薬をいや応なしのまされるとき、ダラダラ出来るだけ口の端から流し出さしてしまおうとするように。それは不様です。たしかに人前に出せた恰好ではありません。でも、単なる気弱さからとばかりも云えないのではないでしょうか。副作用のきついものを、そのときはいさぎよいようにのんで、あとの一生をその毒でふらふらしているのも多いし。
 私の病気は本当に複合的におこって、しかもいろいろに変化しますから、どうか段々病気にかかりかたもその話しかたも、ちゃんと会得してゆきたいと願って居ります。
 今マリー・アントワネットの伝記をツワイクがかいたのをよんで居ります。蟻の這うようによんでいますが、マリア・テレサという女王は、自分の位置と義務とをよく知っていた点で女傑であり、明君であったようです。彼女は娘のアントワネットにくりかえしくりかえし王后という地位がいかに負担の大きい退屈なものであり、しかもその位置にいるものはそれに対して責任をもっているかということをくりかえしくりかえし忠告しています。自分の立場をよかれあしかれ、楽しかれ苦しかれ、客観的にそれを十分に理解して処して行くことの出来る人は、ざらにはないものですね。誰でもいきなりからそれが出来るものではなく、それの可能な人は前提として誠実さ勤勉の資質がいるとツワイクは云っているが、これは本当です。テレサは歴史の鏡にてらして未来を見とおしたというより、三十何年間の女王としての経験からマリーの悲劇を予見し自国の将来にも暗さを見たのでしたが。
 これは私としては面白い本です。こんな目でわずかずつしかよめないが、よまない間にどっさり考えますから。歴史の波が或る人をのせてその人がのぞむのぞまないにかかわらず、歴史の突端におしあげてゆくという点からツワイクはアントワネットをかいているのです。
 自分を知って自主の人として歴史に対応しそれに働きかけたのではない人として。平凡人として。自分の義務によろこびを感じ誇を感じ、常に自分の主人である人は、人々が自身にそれを希望しているより、現実には稀有ですね。
 私にしろ、自分の条件が病気にかかりやすく、なおしにくく永びき、その点楽をのぞめないものと知りながら、その病気をもってゆく術は上手でなくて、癒してしまいたがってそういう単純な生活慾は通用しないことが何だか分っているくせに分らないようなところがあります。
 いつもあなたに心づかいおさせして御免なさい。ちゃんと落付いて養生しているか、どうか。気をせかして妙な頓服や注射なんかしはしないか。そういうことをちっとも案じて下さらないですんだら、私もどんなにうれしいでしょう。
 けれども又一方からは、あなたがいつも真直な明るい視線を向けていて下すって、その眼を思ってみれば、自分の眼のなかに光がともるのも私としては深いよろこびです。私は子供らしい心持で、よろこびからこそ義務も責任もすらりとわかるというところがあります。偽善家ではない証拠かもしれないけれども。錬磨されるテムポは、人によってまちまちで資質の純、粗によってのろかったりするものです。
 この伝記は下巻も出てからお送りして見ましょう、そして私は夏休むとき「ピョートル」をよんで見ます。私はこの頃自分のもっている仕合わせの質について、これ迄よりもずっと真面目に、厳粛に考えるようになりました。
 私がこうやって病気して仕事も出来なくているとき、少くない人がこれ迄にない親切をつくしてくれます。真実に生活を思いやってくれます。その親切の源はどこにあるでしょう、決して名士好みのファンの心もちでない親切。又ある時期一つ財布で暮したなどということの全くない人たちの親切。何でもない奥さん、おばあさん、友達、その人たちが私にあたたかい思いやりをかけてくれるのは何故だろうか、と。その人たちに私は何を負うているかと。眼がわるいことの気の毒さ、は、私が只ものをかけないよめないということにだけかかってはいないのだと感じます。
 私は謹だ心でそれらの親切と、そのような親切をうける自分の仕合せを考えます。
 それらの心もちは一つのものにまとまって、人間はとどのつまり何によって生きるかということの考えに向い、私の心はそれは信頼であると明瞭に答えます。人としての信頼の深さこそ唯一の仕合わせの源泉ですね。それを、人はめいめい自分の最善の力をつくしてかち得てゆくのです。狡智や張りこの理屈や、そんなものはここまで持たないものです、人間関係の最深の地
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