などが、今日の人々の日常では想像の出来ない悪業に平気だったということは分ります。ツワイクの時代の空気は理性的です。バルザックの空気には毒素となって当時が尾をひいていて、バルザックはその中でフーシェなんかをグーッとつかんでいるのね。バルザックという作家は、フランスの鼻もちならぬ塵塚、塵芥堀の中から、のたうって芽を出した大南瓜ね。まあその蔓の太いこと、剛毛のひどいこと、青臭いこと! その実の大きくて赤くて、肉が厚くて、美味で一寸泥くさいことと云ったら! 人間が喰われてしまいそうな化物南瓜ね。痛快至極の怪物です。ユーゴーの通俗性とはちがった巨大さです。ユーゴーは、とんまや道学者にも分る立派さです、ゲーテ同様。小にしては藤村の如く。バルザックは偉大さとお人よしと博大さと俗っぽさと、すべてが男らしくて、横溢していて、強壮で成熟して、物怯じしない人間だけにうけいれられるいきものです。バルザックは、手がぬるりと滑るほど膏ぎっていて、それが気味わるいということはあっても、きたないと云う人物ではありません。野卑だが劣等でないというような表現もあり得るものなのですね。そして、上品できたない人間に、野卑であっても気持のきれいな男が、唾をはきかけることも分ります。バルザックは妹に、小説の原稿をよんで貰い、文章に手を入れさせ――溢れるところに、土堤をこしらえさせました。その妹に、すごい別嬪だよ、というような語調でハンスカ夫人のことなどうちあけているのよ。
 バルザックのねうちが分るためには、人間鑑識の目がよほどリアリスティックに高められなければなりませんね。羽織の紐をブラリブラリと悠々たらして、奴凧のように出現する無比の好漢は、エティケットを云々する文化女史にとって、どんなに大ざっぱで可怪しい工合に見えることでしょう。ロダンはバルザックをあの有名な仕事着《ガウン》姿で、ロダンらしく、すこし凄みすぎて甘みぬきにしすぎて居ると思います。バルザックはああいう英雄ではないわ(ロダンのバルザック記念像の形、覚えていらっしゃるでしょう? あのヌーとした。巖のような)ぼってりして肉厚な体で、テレリとしたところもある口元の、シャボテンで云えば厚肉種です、汁の多いたちよ。余りまじり気なく男で、女性の影響なしにいられなかった、そういう男です。
 炬燵に入って、こんな話を次から次へしたとしたら、どうでしょう。とこ
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