そのような心理あらしめているものを描破しようと欲しているのですから。もし高見順がその意味で、描写のうしろにねていられなかったのなら、相当なものであったわけですが。心理的[#「心理的」に傍点]に生きることを自分に許したら、あらゆる無駄なのたうちと浪費(人間性の)を許すことと同じです。きょうは健之助の満一年の祝です、わたしは茶色の熊をやりました。お祝の主人公は天真爛漫に水洟をたらしてワイワイ泣いているわ。では又ね。

 十一月二十八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

 十一月二十八日
 二十五日づけのお手紙ありがとう。前の宅下げのものはもうみんなもちかえりました。本はよほど前、シーツは近くに。ハラマキのことはお話したようなわけ。シャツは買いにゆけなくてまだです。『週報』へお金送ること計らいました。森長さんの電話もすみ。十一月十日以降のをお送りする仕事は明日。そのとき一緒にやっとついた石井鶴三の宮本武蔵の插画集おめにかけましょう、何となし眼の休みになりますから。絵は休まることね、読むことの多いものには。
 さて、きのうの午前八時からけさ八時迄の訓練は、珍しく国もすっかり身拵えをして気を揃えました。太郎や赤坊がいるからさわぎよ。二十四日にやってみて壕が余り冷えるので、きのうは、目白でベッドに使っていた板を提供して底にしきました。大変ちがうと皆大よろこびです。
 よろこぶけれど、はじめ思いついたり、物を工面したり、さがしたり運んだりということはしないのね、決して。そういうゆきかたにタイプを感じます。
 きょうは朝四時十五分前に起き、みんなを起し、おじやをこしらえてやりました。食べてから、何か事が起りそうで、仕度して気をはっていたのに結局八時迄この組は何もなく、私は折角外に出ているのだから、落葉はきをいたしました。そしたら、風呂場の紙屑の下からミラノの街の写真だの、どこかの宮殿の写真だのが出て来て珍しく眺めました。ミラノの、今度空襲をうけた大ドーモの写真。美しく壮大なゴシックの寺院などです。但、通行人の服装は一九〇八年頃なのよ。古風で、何てつみがない風でしょう。宮殿の方のは、壁という壁に、ひどい壁画がいっぱいで、その絵の中に人間がウヨウヨしているの。そこの前でほんものの人間はどんな神経でいたのでしょう。自分たち活きた人間の無言のこだまのように壁上の人間どもを見た
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