報』はもうすこし待たねばなりません、こんどの整備でこれは四割減、『文芸』八割五分減、『婦人公論』七割減となりました。そのために、予約を全廃してしまいました。出たら早いものがちで買わなくてはならないわけです。何とか買えそうです。しかしこれがほしさに、その本やでエホンも買うという工合よ。
 帝大から四千人の学生が出征しました。大講堂の入口に佇んでその行進を見送る総長の髪の白い、背のまるい、国民服の姿が新聞に出ました。
 うちの書生さんはもう二三日でかえります。私は、この人から迷惑も蒙ったが、ひっくりかえったときは幾晩も徹夜で働いてくれその後も氷買いだけだって大した骨折りをさせましたから餞別を三十円やります。
 バルザックの小説のことゆっくり書こうと思います。こんどはいろいろわかり彼の大作家であるわけもよくわかります。一番私が有益に、興ふかく思うところは、バルザックが、人間関係というものに示している執拗な描写です。もとは、その点の価値が分らなかったから、彼の描く性格の単調なところ、殆どモノトナスなところ、がひどくいやでしたが。関係をかく彼の作家的力量は巨大です。
 昔、彼が現実を描くと云って妙にもち上げられた時(西鶴、バルザックという風に)、もち上げた人たちは、真に彼の大作家たる強さ、実に大きい強さは決して理解しなかったし学ぼうともしなかったようです。何故ならもし其がわかれば、当時自分たちが、何故バルザックに戻ってそれをかつぐかという心理関係がまざまざと自分に見えたわけですから。そして、ああいう風にはもち上げなかったでしょう。
 人間の性格というものはそうそう新奇になりません。刻々に変り広大となるのはその関係です、現実的利害による関係です。小説は、将来、それを十分こなし得る作家を求めているのではないでしょうか。
 散文というものは、タンサン水のように、その中に生活の炭酸性の泡をどっさりふくんだ強壮なものであるべきです。ヨーロッパ(フランス、イギリス、ドイツ)の散文は、十九世紀に其がもっていた剛健さを失って来ています。ブロックのつみ重りではなくて、曲線的になってしまっています。それは新しい生命力をとり戻さねばならず、其には人間の関係についての強壮さを(理解の)もたねばなりません。バルザック以後の、ね。
 だから、アメリカの散文がこの国の若さを自然に反映して、ある瑞々しさをも
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