っているのは面白く思えます。
 しかしこの強壮さは、謂わば若いから丈夫だという人間の生理的な状況のようなもので、それだけではたよりのないものです、どんなにふけるか分らないのですものね。
 日本の文学的伝統における散文の力とはどういうものでしょう、この見地から見直すと、漱石の散文は秋声よりも弱いと思います。寛の散文は初期だけ。芥川のもよせ木です、もろい。小さい、器用です。志賀のは、よく洗ったしき瓦でたたんだような散文ですね、建造物的巨大さはありません。「誰がために鐘はなる」などは、肉体的ぬくみと柔軟さとスポーティな確乎さをもっていて新しい一つのタイプでした。そうお思いになるでしょう?
 私は今の自分として、もっているプランに添ってもバルザックが分って来たことをうれしく思って居ります。自分の散文を全く散文の力を十分発揮し得るものと鍛えたいと思います、私が詩人[#「詩人」に傍点]でないことに祝福あれ。
 では又ね。

 十一月二十一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

 十一月二十一日
 きょうはこんな紙をつかいます。
 暖かかったことね、秋の末の飽和したような黄色と紅が二階からきれいに見えます。寿江子へハガキをありがとう。いずれ御返事出しますでしょうが、私からも一寸。『風と共に散りぬ』はひところどこの本やにも胸が一杯になるほど氾濫して居りましたのに、この頃はもう全く影をひそめて居ます、この間うち本やさんにもたのんで居りましたが、望うすしの方です。田舎へ行く人にたのんで心がけましょう、本まで田舎とは。プルータークの雄弁家の巻も同じめぐり合わせです。アメリカ発達史はどこだったかの本やで見たような気がします、新書ね、これが一番早くものになるかもしれません、面白そうな本です。英国史はモロアはうるさいかきかたをしているようですが、そうではなくて? フランス人らしく、あんまり個々の人物のせんさくずくめみたいで。
 この間うちよんでいたツワイクの「三人の巨匠」の中で、文学精神の伝統ということを云っている中に、ドイツとフランス、イギリスを比較して居ります。ドイツのは、「ウィルヘルム・マイスター」以来(あれを近代小説の始源と見ると見えます)発展小説の形をもっていて、これは人間が、自分の内部相剋を統一の方向に向けて行って遂には社会に有用な人物となることを辿ってゆく文学。(そう
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