てのってゆきました。山越えはこの一行のおかげで大半の愉快を失いました。しかし今、あの山道を通るいろいろの動きをまざまざと思いやると尽きぬ感興があります。
 私たちがのっている船は、あの晩夏の黒海のきらめく碧さと潮風にふかれてのどかでした。クリミヤにしろ、そこに咲く百日紅の色を知っています。ノガイの草地では、馬乳が療養上有名です。そのノガイに今日では歴史の物語がくりひろげられているわけです。ノガイと云えばトルストイの時代にはその遊牧民の天幕小舎しか考えられなかったのよ。それ以上のロマンティシズムはあり得なかったのです、エクゾチシズム以上のロマンスは。今日景観は何と雄渾でしょう。それを想って、「東橋新誌」という題みると、おのずから感懐をおさえ難うございます。古くさいがみじめです。今日では明治のランプをつけて古ぼけた写真くりひろげているよりも、土にじかにいて、星あかりに照らされる方がよりフレッシュであるようなものです。
 達者な新しさ。それをどんなにのぞむでしょう。文学の上に、ね。本当にすこやかな息吹きも爽やかな力を。わたしのカン布マサツの動機もお察しつきまして? 余り遠大すぎてお気の毒のようです(自分に、よ)
 さっき太郎が寝ました。この頃この男は軍歌ばかりうたいます。そして航空兵はおしるこが貰えるからいいね、と話します。
 つづいてみんなが国府津から帰って来ました。国男は珍らしく赤い顔して居ります。裏の近藤さんという洋画家が食堂で、ここの隣組は出席率がわるいということについて町会の小言をつたえて居ります。私は何だかどの話も面白くありません。すぐ上って来てしまいました。そしてこれを終りにいたしましょう。
 もと帝大かに来ていたイギリス人が(詩人でしょう)前大戦のときの各国の短篇を集めたものを神近市子が訳し二年程前出ました、「戦線・銃後」という題。アメリカ、イギリス、ドイツ、フランス等。それぞれにその国の人のテムペラメントがわかって面白いばかりでなく、こうして編集されたものが却って大戦の奥ゆきというようなものを綜合して感じさせます。バルビュスの暖い短篇もあります。オイゲン先生の国の作品が、大変理念的なものばかりなのは、これも注目する価値を感じました。その生硬さ、メロドラマティックな筆致においても。今に、かりにこういう篇集があり得たら其はどんな作品を示すでしょうね、昔物語の
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