う本能的な女性の人間成熟のためにこんな自然の材料が与えられているということを考えるべきでしょう。これをも宝というほど人間のキャパシティーは巨大でしょうか(?)
其にしても人間は面白いことね。咲にしろ私にしろ泰子が可愛いとかいじらしいとかそんな一面の「いい心持」で人間成長はしなくて、むしろ逃げられない負担とたたかう心理の内でだけ豊かにされ、成熟し勝利し得るというのは。
こうして人生のテーマは深められるのね。生活的に咲の正気の側に私というおもりのついていることは大変いいことです。神経のエクセントリックな衝動とのバランスの意味で。そして大局には私をもゆたかにするのでしょう。咲枝をよく理解し同情し、いろいろの生活の障害の本源を理解しようとすれば、やはりおのずから見るべきものは見なければならずですから。
きょう手紙かき出すときにはもっとほかのいろいろのことを話そうとしていたのでしたがおのずから「うっせき」が洩れました。
「三人の巨匠」は少しずつよんでなかなか面白いテーマがひき出されます。シェクスピアが最大の人間通[#「人間通」に傍点]であるとし、彼の全作品のテーマは常に何かの「誤解」である、そこからの悲喜劇であると云っています。「オセロー」ね、あの女主人公と主人公との間の誤解、「リア王」の誤解、しかし現代の人々はああいう単純な誤解の上にあれだけの悲劇は発生させず、従ってかけません。ああいう誤解そのものが生活から減っていますから。この点が私にはひどく面白いのです。時代と文学のテーマとの関係で。シェクスピアがあんなに単純な誤解、殆どおろかしき誤解の上に、あんなに人間性を乱舞させ得たのは何故でしたろう。それは「誤解」がその時代最も人間性を解放するテーマであったからではないでしょうか。交通の不便さ、しかも拡大された地球、発達しはじめた産業、しかし中世のしっかりした身分別。最後のこのものは、リアとコーデリア、オセロとデスデモーナ、人間と人間とを型にはめた関係におきますが、誤解はそこに加った人間の心の積極な動きとして生じ、そしてそれをキッカケに人間性を溢れさせました。意志の疎通の欠けたところからだけ誤解が生じ、(しかし誤解の生じるだけ型やぶりがあり、)=コーデリアの潔癖=それがシェクスピアの文学で典型の単純さでつかまれました。それだから人間をあれだけ活かして動かせ、活人間として今日
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