らでもみんなに食べさせたいものと、二、三日がかりで奔走しましたが、休日と重るせいか、どこもかしこも休み。すしやさえありませんでした。
そこで、たべるものは何もなしとあきらめていたところへ、東北の友達のひとが出京して、珍らしくリンゴ七つその朝もらいました。今のリンゴはまアと歓声が上るのよ。それで何だかお祝いらしくて全くうれしくなりました。薄青いのや真赤なのや。遙々岩手から病気をしていた女のひとが癒ったともって来てくれたのですからおめでたいものなの。
雨でしたが、しずかなわるくない雨でしたでしょう? 咲と寿とは緑郎のお嫁さんの実家へことわれない招待で午後から出かけ、国と私、むかい合ってのんびりしていて、いろいろ事務所の話、私の借金の話、寿の話、などしました。この頃いろいろ話すのよ、あちらから。
そして夕刻になったら留守番の良人というものは落付きのわるいものらしくて、急にゴタクタの食堂を片づけようと云い出しました。
「私はまだ働けないわ、やめようよ」
「姉さんは只みていてくれていいんだよ、時々声援してくれる位で」
「ほんと? 何かひっぱり出して、姉さんそれ二階? なんていうんだろう」
「そんなこというもんか!」
セルの上にハッピ(本もののはっぴよ、大工の棟梁がくれた)をひっかけて国が着手しました。この食堂の描写をしたらオブローモフはだしですね。空いた大きい木箱をもって来ていらなくなったものは片はじからそれに入れます。わたしは鈴木文史朗のヨーロッパ旅行記をよみよみそれを見ているというわけ。そして感服するの。
「こうやってみていると、やっぱり国男さんでなくちゃ通用しない片づけかたというものがあるのねえ。ああちゃんがいない方がいいね。アラそれやっ子の薬よ。アラそれはお父ちゃまて云われないからね」
「それゃそうかもしれない」
「私はもううわばみ元気が抜けたから片づけはきらいになっちゃった」
ウワバニンとかいう砒素の薬(それをうちはウワバミというのよ、きらって)を水上さんは注射してその刺戟で亢奮していた頃私はよく女人足と自分をよんでいたでしょう?(いやね、私の神経は丈夫にするためには鎮静させなければなりませんでした、だのにね。ステュミレートする必要は、神経の弛緩した病人にいいでしょうが。私は緊張して障害をおこしたのに。あの頃はいつも苦しくいつも落付けずいつも働いていなけれ
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