す。
追伸
代筆のハガキ頂きました。あなたのところへハガキ出したあとでした。島田へも書きます。これは心づきませんでしたから。アンデルセンの本は、じかにそちらへ送るよう取計らいました。
「三人の巨匠」、終りに近づき。随分面白くテイヌの作家論などへも興味を誘われます。ドストイェフスキーの二重性格を実によく追っていながら、何か意外な軽々しさ、スリップのようにそれをレムブラントの明暗に比べています。何というちがいでしょう! レムブラントの終局の健全さ。ドストイェフスキーの窮局の不健全さ。一方の暖かさ(レンブラント)。一方の非人間さ。
十月十八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕
十月十八日
十五日には急に代理になってしまって本当に残念でした。おやとお思いになったでしょうと思って。火曜日の夕刻ひどいさむけがしました。おなかが空いたからかと思ったが食後も駄目。これは冷えたのかと入浴してよくあたたまって床に入りました。そしてすこし落付いたら又ゾーゾーなの。さては、面妖と思っていると苦しくなって眠るどころでなく、様子が妙だから体温計を出して計ってみたら八度七分。又三十分したら九度、一時間もしたら九度七分まで上って、いく分ぼんやりした気分です。予防注射していますし、あんなに気をつけてそれで頂いたのならマアいいや、だがうちの連中にはさぞオゾケをふるわれるだろうなど、考えて午前四時ごろになってふと喉のところさわったら耳の下がはれ出しています。ははあんと大いに合点して、すっかり安心いたしました。眠らず朝になり、人が起きてすぐ冷しはじめ、十五日には歩けるようになるつもりで力戦いたしましたが、氷やけで耳の下は赤くなったが、床から出られませんでした。
熱は翌々日位でとれ、もう十七日にはすっかり平熱で床に入らず暮しました。この扁桃腺のフクレでズコズコ云っていたのもすっかり解決いたしさっぱりした気分になりました。
扁桃腺が喉の外へ向ってはれたので、内へ向わなかったため食事はおかゆをたべられましたし熱もたいしたことなく助かりました。
しみじみもう病気は困ると思いました。人手がないから。自分が動けないと遠慮してつまりは氷もとけたっぱなしになりますから。本当によく気をつけ丈夫にしていなければなりません。
十七日はそんなわけで割合調子もよくなって居りました。せめて、てんぷ
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