る愛着がどんなに深いかということを語るのに詩人は面白い角度からとらえているのよ。その女のひとは、余り自分の心を奪うその美しいものを、思わず見入る自分の顔を、鏡に見られるのも羞しく感じるというその心持からうたっているのです。わたしの眼差しはそれに牽かれ、珠の深い輝きが瞳に映る。やがてそれはわたしの面にまでもかがようのだけれども、自分にさえそれと心づかれるそのよろこびの空やけを、鏡よそんなに凝っと見ないで。その不思議な羞らいはどうして? そしてどこから来るのだろう、といううたなの。
単純な言葉の散文詩です。けれどもその調子には実感が流れていました。作者は男なのに、女のこころのこんなまざまざとした、一抹のきれいな雲に似た心の動きをよく捉えたものです。それは一つも嬌態ではないのよ。真率な、さっぱりとした、それでいて、いかにもなよやかな味いです。何だかこれ迄見落していたようで、こういう詩趣のふかさも面白く感じました。あなたはもしかしたらお読みになったとき却って心づいていらしたかもしれないわね。
この詩の作者は珍らしく天真で、卑俗な羞らいの感情などからは、神々のように自由です。それだけ情感はみち溢れて、溢れる水がきらめくように充実していて、高い情熱の焔のためにかげを知らない風です。でもこんな詩をよむと、本当に親愛を感じるのですが、敏感なところがあって、あんまり人並の限界を超えた美しさへの傾注の深さを、その表現を、我からはじらうところがあるのね、しかも、決してその横溢を世俗の枠におさめておくことは不可能なのです。鳴りわたろうとする楽器なのね。そして、ここにそういう資質の独得な歓喜と悲劇ともふくまれているわけでしょう。
でも、この詩人はしあわせ者です。自分の天才をうながす啓示を常にもっているらしいから。これは人間の生き甲斐というべきであろうと思います。
十七日ごろには、新しいふとんを敷いて、さっぱりとくつろいでいらっしゃれたらうれしいと思います。
十五日にゆくときは、おしゃれをしようと考えて居ります。でも果して、どんなおしゃれが出来ることでしょう。春、あんまり大気に生気が充満すると雷鳴がおこり、ゴッホのあの美しい絵のように爛漫と荒々しくなります。秋のみのりのゆたかさにもやっぱりそういう天候が伴うものでしょうか。数日来幸福な病気にかかり、きょうはおのずから快癒に向って居りま
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