たにも今年は迅かったでしょうか。
 ことしは思いがけずひどい病気をなさり、やっとそこを通りぬけになってのお祝日ですから一層心に鮮やかです。何はなくても、菊の花はありますから、どの部屋も菊の芳しい香りを満々とさせましょう。天気がよい日を希います。天気が晴れると菊の匂いはひとしおすがすがしくていい心持ですから。みんなに何か食べて貰いたくてしきりに考えて居りますがどうなるやら。わたしはそういうことのためにまだまだ駈けまわれませんから困るわ。ああちゃんは泰子で一杯ですし。お祝いに、ああちゃんは丈夫な白の木綿ふろしきをくれました。これは全く素晴らしいおくりものよ。シーツになるのよ。わたしがはったとにらんだものだから、その魔力にさそわれて、おくりものに化してしまったの。
 わたしはすこし恐縮に感じて居ります。それというのは、どうもわたしがお祝いにあげるよりも、たっぷりまことに心のこもったおくりものを頂いているようで。
 美しき異教《ペガン》の歌《ソング》の一節は、わたしの肉体から生れたものではあるけれども。その歌のモティーヴをさずけられたとしたら、作者はやはりその啓示に感謝しないわけにはゆきません。小説の筋がきをお祝にしようと思っていたけれども、それはおやめにして、あの歌で代えます。その方がずっとふさわしいわ、ね。その上、生れてしまわない子について話しにくいと同様で、胎内にうごめいているものを早目に話し日の目に当てるのはどうも何だか変です。明日行くときに、多賀ちゃんが縫ってくれた暖かそうなどてら持ってゆきます。暖いようにと思って縫った心持を着て頂けたらと手紙にありました。何年ぶりかで、そんなどてらも召すのね。きっと暖かだろうと思います、そして、足もつめたくはおありにならないでしょう? こういう秋の季節の明暮、ほのかに足も暖いのは、ゆたかな和んだ気分です。
 きょう、本棚いじっていたら小じんまりした小曲集がありました。勿論それはもうこの年月の間に幾度かくりかえして読まれたものではありますが、新しい気持でみると、又ちがった節々が目にもつきます、なかに人の心のあどけなさにふれたようなのがありました。「どうして?」という題なのよ。若い女のひとの心持として歌われているのですが、そのひとがわが小箱のなかの秘愛の珠玉をもっています。その珠玉の美しさは直接描かれていないで、しかもそれに傾けてい
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