娘をやいてもよいというのは、アブラハムが自分の息子をやこうとしたような、何と旧約風の憧憬[#「憧憬」に「ママ」の注記]でしょう。本をしまってしまってよめないけれども、「『敗北』の文学」の作者はこんな点をどう扱ったでしょうか、みたい気がいたします。
 この問題について、私なりの回想があるのよ。小説をかくようになってしばらくして、開成山の家へ行きました。それ迄気づかなかった坐敷の欄間に一枚板に白うるしで細かい漢文が彫ったのをはめこんであります。只字と思ってよめなかったのをそのとき気がついてひろってみたら、おじいさんが開成山開発の事業、猪苗代湖水の疎水事業のためにどんなに身を砕いたかということを書いたものらしいの。私は何となくがっかりしてね、そういうおじいさんの孫として生れている自分のなかにある無風流さを考えたことがありました。
 その時分は、佐藤春夫の祖父や父が詩文や絵の愛好者であるというのをうらやましいように思ったものよ。それからよくぞ自分は風流[#「風流」に傍点]でなかったと思う時期が来ました。そしておじいさんが、自分の客をとおすところへそんなものをおきたく思った個人的な心持、個人的にむくわれなければむくわれたと思えなかった人の気持(しかも万人のためにと働きつつ)を思いやることが出来るようになりました。
 それから全く新しい地盤で、文学の課題として、自分のモラリスティックな素質を考えるようになった時代。そして、この時に到ればもうこれはおじいさんの問題でも自分[#「自分」に傍点]の問題でさえもないという次第。
 一寸話がわき道に入るようですが、ふと荷風の「あめりか物語」(明治四十一年)をよんで、谷崎のロマンティシズムと対比して荷風のねばりのよいのがわかるようでした。谷崎というひとは官能的なのね、情感的デカダンスが荷風であるとすれば、谷崎はもっとずっと人間的には自然発生で、肉体の年齢のままに官能が老境に入るたちの人ですね。だからあんなにだらしない歌を紫式部にたてまつったりするのですね。荷風のあくどさはペンキ絵ではないわ、せいぜい水彩かパステルね。谷崎のはペンキ式です。春夫の生きのよかった時代がペン画に淡彩をほどこしたの。
 荷風のこの「気分を味う」傾向は、年とともに傍観的となり、又薄情ともなり「※[#「さんずい+墨」、第3水準1−87−25]東綺譚」「つゆのあとさき」等
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