出しました。つづいて「地獄変」を。
こういう問題のチャンピオンはトルストイと考えられていて、たしかに彼はあの強壮な精神と肉体との全力をつくして立てられる限りの音をたててこのたたかいを行いましたが、考えてみると、実に不思議に自分の枠をはずせなかった人ですね。あんまり枠が大きくて、つよくて、こわれなかったのかもしれないけれど、最後の家出にしろ修道院に向ってであって、それは客観的には最も彼にとってやさしい方向でした。自分の一面の力への降伏であったと思います。更に面白いことは彼にあれだけの文学作品があって、それではじめて、あのモラリストとしての動きの意味や価値が明らかにされていることではないでしょうか。
「人はどれだけの土地がいるか」という民話ね、覚えていらっしゃる? いかにもあの時代の、地主の、良心ね。死んで葬られるだけあればよい、というの。そんな土地さえなくて、現代の人々は生き、そして死んで居ます。現代は、地球のどこにその土地を求めようというのでしょう。この間顔を洗っていて、朝何故だか其を思いおこし、トルストイの民話はつまらないと思いました。時代の制約の中でだけのモラルです。(少くとも或るものは)
馬琴の煩悶に托して芥川は、自分の疑問を追求したのね。しかしモラリスティックな欲求というものも馬琴はあの時代、もう武家の伝統が自ら推移したなかで、町人の文化の擡頭した時期に、伝統の擁護者としてリアクショナルなモティーヴからあらわれ、従って彼のモラルは前進する動きよりも類型をもって固まるしかなく、明治文学を毒した善玉悪玉式図式をつくってしまったのね。馬琴の悲劇は、モラルの本質がそういうものであったから、支那文学の影響も稗史《はいし》小説、綺談等からうけ荒唐無稽的となり文学の一面で当時の卑俗さと結びついています。春水と馬琴とのはり合いのことが、馬琴の側のふんがいとして描かれているけれども。春水はくだらなくてデカダンスであったにしろ、文学の発生として雑種でありませんからね、そういうところはあるわけです。
芥川はモラルと芸術性をあの時代らしく対立させ、それを追求はしたが、馬琴に托してしかも馬琴のモラリティーのうしろむきの工合をはっきりつかまなかったものだから、その先には「地獄変」しかなかったわけね。芸術至上主義をああいう形で押し出して、宗教的にしてしまったのね。芸術のために自分の
前へ
次へ
全220ページ中167ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング