自然主義の風潮に一致出来なかったというばかりでない理由から作家として自身のモラルに立てこもって、謂わば立ちながら往生した、天晴れなところのある人でした。今日の作家は、もっとダイナミックに考えるから、柳浪を必ずしもその形で学ぼうとはしません。そうでないのならどういう風に自身を導くか、芸術の方向で、ね。
 この宿題はあなたがお気がついているとおり、もう何年間か私の宿題で、「朝の風」からあとずっとついて廻って居ります。「朝の風」は、そのモラルの中でああまで瘠せたことについて軽蔑するよりも注目すべき作品でした。全く危機を告げている作品です。
 あすこからどちらへ流れ出すかということは私の生涯を決定するのだけれども、私はモラリストとしての自分が、丁度自分の音質や声量にかなった芸術的発声法をつかめなくて日夜喉をためしてその音をきいているような工合でした。ところがね、私が逆説的な福祉と云う状況になって、全く私は落付けてしまったのよ。ジャーナリズムとばつを合せる気をさらりと捨てたら、自分の声がききわけられて来たという工合です。そして、それは、うれしいうれしい工合なの。自分のモラル、人間のモラルの高さまっすぐさ美しさはいよいよ深くかたく信じつつ、謂わば、その規準があってはじめて大丈夫という工合で、生活の姿を全体としてつかんで、例えば、人間の生活の下落も、その下落の明瞭な把握において高さを描き出し得るし、自分はそういう一彫刻的作品を描いてよいと自分に許せる気になった次第です。それだけ確信が出来たのね。何年もかかり、生きかえし死にかかりしているうちに。バルザックのこと、この間一寸話していたでしょう? そして今思うのよ、バルザックなどは或意味で、今なかなかよめるのだ、と。はっとして、勝った勝ったと自分のうちに音楽をきいたのは、ツワイクの「三人の巨匠」ををよみかけているときです。私は自分の芸術家が、モラリストをしっかり自分のなかにのみこんだと感じたの。それが今までのようにわたしの横に出しゃばっていて、うるさく其でいいの? 大丈夫? と啄を入れなくてもよいと安心してじっと私の感受性と瞳の中にしっかりはまりこんだことを感じたのです。
 これは人を愛していたことを、はっと心付いた瞬間の心持と何と似ているでしょう。いつかしら日夜の間に心にためられていて、しかしその間には心付かず、或る瞬間俄に天と地と
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