だから、少ししっかりして来たらやはりお礼に行かなくてはすまないというわけなの。この伯父はもう七十でしょう、昔ベルリンで父とこの義弟とが一九〇四年代のハイカラー姿をうつした写真などもあり。一番可愛がられた伯父です。妻君運がわるくて、一番はじめのお鷹《よう》さん(父の妹)は、ヴァイオリンをやったりして一番風情のこまやかな人でしたが、二人の子をおいて死に、二度目のお菊さんは六人ほど子をおいて死に、三人目のひとは、名も覚えて居りませんが亡くなり、今四人目の妻君です。そういう工合で、総領息子とほかの子と折合いがよくない上、細君が段々下落して来て(心や頭が)何ともそこをちゃんとやれなくて、なかなかなのよ。伯父さんも家庭の内では私たちに諒解のつかないやりかたもするらしいし同時に傍でわからない寂しさもあるのでしょう。四人目の細君には会ったこともないのよ、今度行けば初対面なの。お茶の水出の人ですって。案外、マアと云われたりするのかも知れないわね。
 そんなこんなで、ブランカこのところ一寸「雑事に追われ」の形です。しかし大体の傾向は大変よくてね。この間うちの精神緊張と何とも云えない震動は、案の定何となし新しいところへ私を追い出しました。うまく云い表わしにくいのだけれども、私の中で芸術家がモラリストを超克したとでもいうのかしら。或る夜私の心持がさあっと開けて、ほんとにそのときは勝った勝ったと光と音楽が溢れるように感じられました。
 これにはすこし説明がいるわね。
 由来、芸術家は、本ものなら、本源的にモラリストです。特に新しいタイプの作家はそうです。内面につよい人間生活に対するモラリスティックな衝動をもっていて、決して只の文学感興というものがきりはなして存在しません。ところが、様々な歴史の環境の中では、そういう本源的なモラルを求める気持が、その求めるままの形で生活されていず、従って、そのままの形で芸術化されなくなっている場合があります。人間及び作家として、これは試練の時期であって、多くの人々はその時期に自身の砦をあけわたし、モラルをすて、今の時勢には云々とその位だの金だの肩書きだのにかくれて、芸術をすてます。身すぎ世すぎをしてしまうのね。ところが、そうは出来なく生れついている一群の作家というものがいつの時代にもあるものです。昔の柳浪が一例ですが。この人なんかは明治三十七八年以後の時代に、
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