ているということですし、ヒントを感じやすくなっているという状態。
 こういう落付かなさというか貪慾の状態というか、面白いのよ。この数年間こんな段々胸元に何かがせき上げて来るような気分を感じている暇なく、それだけ休む暇もなく次々にと仕事していて、こういう風に、本当に新しい諧音で自身のテーマが鳴り出そうとする前の魅力ある精神過敏の状態は、いい心持です。今の気持でおしはかると、私は断片的な感想などから書きはじめず、全く自身の文学の系列をうけつぐ小説をかきはじめるらしい模様です。
 本当に腰が据れば、それが(小説をかき出すのが)おのずから本当だと思われます。そして、これは決してブランカとして悪い徴候ではないわ、ね。評論的資質をすっかり小説に自在にうちこめたら、どんなに胸もすくばかりでしょう。

 十月四日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

 十月四日
 きょうは、やっと晴れて、風も大してなく、あなたの袷も干して気持よくして明日もってゆけることになりました。きょうの空は青々して眩しくて一点の雲もなくて、秋らしくなりましたこと。これから少しは秋らしく爽やかになるでしょうか。
 風邪はいかが? 私の方はのろのろですが、きょうあたりは大分ましで、耳も鳴らず、洟が出る位で楽になりました。あんなに暑かったり寒かったりだったのですものね。
 さて、本をまとめて、しまつすることも終り、これで今月は呼吸がつづくから、これであなたの夜具のことをちゃんとしまい、お義理の訪問をすこしずつすまして、やれ、と仕事に落付けるわけになりました。古本の公価がきまって、面白いのよ。来てくれた人は目白の先生の紹介で律気な人だもんだから、一冊一冊大体発行年代と定価見くらべて虎の巻を出して字引のようにして買い値をきめてゆきます。つい去年の秋ごろは、一円五六十銭の小説は大体半分で一束にかっさらって行ったのとは大ちがいで、思ったよりまとまり(二百冊ぐらい)そちらにも、すこしお送りいたしておきます。ちびちびと、点滴石を穿つ式にしておかないとね。三ヵ月毎に銀行に払うものがあるから。今月は其で。
 お義理の訪問というのは、私が病気になったとき、大瀧の伯父(父の妹の良人)やその他わざわざ来てくれた人のこと、うちの連中子供らしい人で、今まではっきり話に出なかったのよ。きいてみれば、夢中の間に心配して来てくれているの
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