れましょうが。マア何とかやってゆけるでしょう。こちらの方はおそらくそれよりずっと少額でしょうから。当分は国男さんの世話になるわけです。それは追々こうして暮していると、わたしという人間も暮しかたもわかりすらりと行けそうですから御心配下さらないでようございます。(いずれそういうことについてはもうすこしプランが定ってから改めてお話しいたしましょう。目下のところは、昨今の事情に応じて、去年の秋から今までのような経済のやりかたをすっかり切りかえて、ずっとずっと目前には窮屈ながらいくらか永続性のあるやりくり法を考えようというわけで、国男顧問が相当肩を入れていてくれます。現在のままですと、来年夏ごろにすっからかんで、あとは目下の印度同然餓渇地獄となりますから。)そうなっては、うちの顧問先生にしろ自分がアプアプ故迚も手のうちようがないから、という次第。
 あなたにはお気の毒さまですが、こうやって無いというところに落付いて、世帯くさいいろんなものをさらりとすてて、又女学生になったような気分で、仕事考えているのも、なかなか清爽なところがあります。まあ、尤も、この冬どうしてあなたに暖いものをおきせしようかと思いなやまなくてもいいようにしてあったからそんなこともいっているのですけれど。
 わたしが病気で死にそこない、そこから命をひろい、恢復期になっていて、何か新しい生きるよろこびが体にも心にもあって、仕事についてもこれまでのところはそれとして一定の段階に到達し、先の歩みはこれ迄のやりかたでは達しられないという自覚に立っているとき、いや応なしに内面集注すべき事情が発生して来ていることは、貧乏で辛くこそあれ正当にそれを生きぬけば、芸術家にとって全く祝福であると思われます。わたしが逆説的な恩寵として感じる心持、同感して下さるでしょう。巨大な樫の木が、人の目もふれない時とところで刻々のうちに巨大になるのです。そのような生命のひそかなる充実は何という微妙な歓喜でしょう。この時期の勉強如何で、一箇の能才なる者は、遂にそれ以上のものに成熟するのではないかというまざまざとした本能の予感があります。こういうニュースにふれながらこんな音楽の感じられる手紙のかける私達はつまりは幸福者であると云うわけでしょう。風邪は大丈夫? 私は御覧のとおりよくなりました。

 九月二十七日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(
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