封書)〕
九月二十六日
七八年前、三笠からツワイクの『三人の巨匠』という作家論が出ていたの、御存じでしょうか、うちにあるのはきっとあなたのもっていらしたのではないかしら。
バルザック、ディケンズ、ドストイェフスキー。バルザックをよんで面白くツワイクという人の特徴も一層明瞭になりいろいろ考えました。ツワイクはこの作家論で、それぞれの作家の作家精神の精髄をつかみ出すことを眼目として居ります。バルザックの精神を、全体を全体なりに掴もうとする熱烈、病熱的情熱。あらゆる価値の相対性、それらを型《タイプ》化せんとする偏執狂的熱中。自己陶酔、偉大なる断篇《トルソー》としてつかんで居て、特に金銭がバルザックの世界で最も変質しない普遍的な価値として(人間を支配するものとして)現れていることなどをあげて居ります。
ツワイクはこうやっていきなり作家の心臓の鼓動に手をふれる能力と果敢な精神をもっているのだけれども、バルザックが青年壮年時代をナポレオン没落後のくされ切ったフランスにブリューメルの罪過が最も悪臭を放った時代にすごされて、彼の大天才はああいう内容をとったということについては見ていないのね。その点ケプラー伝の作者ザイレの方が歴史の背景を描き出しています。
ディケンズをイギリスのヴィクトリア時代の枠にはまって伝統精神と不思議に一致した天才としてつかんでいる点も正しく鋭いと思います。この作者についてツワイクはよく歴史を見ているのだけれど。フランスのナポレオン時代後の腐敗の中からバルザックとスタンダールの出ていることは何か暗示にとんでいはしないでしょうか。
つくづく思うことはね、バルザックの偉大さはなかなか単純な若い生活経験では理解出来ず、且つ日本の今日までの文学者は自分の生活感情の内面に共感出来るだけ巨大な波瀾万丈的経験をもっていなかったと思います。今日以後の、勉強をよくして世界の事情に通じ、人間学に通じた作家なら、日本人もはじめてバルザックをかみこなす土台をもつようになるでしょう。そして、偉大さが分るということは好きとは別であり、更に未来の偉大な作家は決して再びバルザックの厖大な自己偽瞞、熱に浮かされた幻想の固定化は行わず、彼のあの薄気味わるいリアリズムとロマンティシズムの双生児(タイプを凝結させようとする――純粋な情熱(何でもそれはよい)への熱中)は生まないことを、銘
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